大阪で、下校中の小学生の列に車が突っ込み7名の児童が負傷しました。運転していたのは28歳の男性で、何もかも嫌になり、人を殺そうと思ったと供述しているようです。自暴自棄になった詳細はまだ不明ですが、そうだからと言って、他人を殺そうとする心情はどうしても理解出来ません。

 先日も、埼玉で、25歳の男性が誰かを殺そうと待ち受けていて、見知らぬ女子高校生に目を付け、後を追いかけ、彼女の自宅マンションで凶行に及んだ事件もありました。この犯人も、虐待を受けて性格が歪み、自分は社会の底辺にいるなどと供述していて、自暴自棄になり、通り魔的に女子高校生を襲ったようです。

 このような通り魔的な無差別殺傷事件が繰り返されています。確かに、今の社会も、格差社会で、いじめやハラスメントが横行している理不尽な世の中であると思います。思うように生きられないのは、多くの人間の実態だと思いますが、かと言って、そればかりのせいにするだけでは、決して幸せにはなれないのです。

 今の日本は、このブログで度々触れていますように、政治も教育も経済だって、まだまだ変革が必要であると思います。しかし、戦争状態であった過去の時代ように間違いなく誰もが不幸から逃れられないような時代ではありません。考え方、生き方次第では、ある程度幸せに生活出来る道が誰の前にも存在している時代だと思います。

 要は、生き方次第で、現状を打破出来ると思います。その為には、限られた知識で近視眼的に物事を判断してはいけません。先達達が脈々と生きて来て、その中でどのように生きればいいかというヒントを多く残してくれています。

 例えば、もし自分は不幸だ、恵まれていない、何をやっても思えようにやれないと思ってしまう前に、貴方の命がどのようにして生まれたかに思いを馳せましょう。

 その為には、生命のことを知らなければなりません。我々の体は細胞40兆個から出来上がっています。その細胞ひとつひとつには、200万ものいろいろな部品から成り立っているのです。まさに奇跡のような組織体なのです。そのような複雑な生命として、この世に生まれたことを、皆さんひとりひとりが経験しているのです。生まれた後の事は生まれた環境や能力など千差万別ではありますが、そんなことはこの世に生を受けられたことに比べれば、ほんの小さな違いでしかないのです。

 そのことを理解出来れば、命の大切さ、それは自分自身もそうですが、他人の命も、否、あらゆる生き物の命に対しても尊ぶことが出来るようになります。

 この原点さえ間違えなければ、自分の人生を大事に生きていくこと、色々な命も大事にしなければならないことを理解するでしょう。

 他人と比べて自分は恵まれていない、社会や回りの人間が悪いから自分は不幸なのだと言った、人のせいにすることよりも、自分はどう生きていけば幸福になれるかということを中心に物事を考えることが出来るようになるでしょう。そうすれば、自分が何故いじめられているのかや何故上手く事を運べないかと言ったことも、自分がどう変われば、そうならなくなるのかと言った自分自身の問題として、自分の進むべき道が見えて来る筈です。

 今、貴方が壁にぶつかっているとしても、その壁は、ひとつの方向からしか物事を考えないから、その壁は高くそびえているのです。

 例えば、学校の勉強が出来なくても、社会にはそれ以外の様々な能力が必要ですので、その中から自分の得意なものを探したらいいのです。勉強が全てではありません。それで社会から落ちこぼれたと勘違いして、自暴自棄に走るなどもったいないのです。

 好きな人に好かれなくとも、人生が終わる訳ではありません。本当にお互いを理解出来る人がどこかにいる筈です。好きな異性に好かれなくなってストーカー行為に走るより、どこかにいる本当に自分を理解してくれる人を探す旅を続ければいいのです。

 奇跡のようにして得られた命を大切にして生きていきましょう。自分の命も、他人の命も。