このブログにおいて、幸せな人生を送るためには、人それぞれの適性にあった仕事に就き、遣り甲斐を感じながら生きていくことが重要であると主張しています。

 それではどのようにして、自身の適性を見つければいいのでしょうか。幼い頃から、いろいろな習い事を自分の子供にさせる親がいます。確かに、スポーツや音楽の世界では、物心がつくかつかない内に始めないと一流のプレーヤーになれないのは事実かもしれません。しかし、先日見たテレビ番組で、天才教育を受けて、世界のコンクールで30回以上優勝し、世界三大音楽院のひとつモスクワ音楽院に首席で入学した女性がピアノにかける人生を捨てて、お笑い芸人を目指している話がありました。

 彼女は才能としてはピアノに高い適性を持っていたのですが、ピアノが好きではなかったというケースです。せっかくの才能を見出せても、本人の思いとズレているとこのようなことが起こることもあるのです。大リーガーの大谷選手のように、本人が野球に全てをかけられるような熱意も持ちつつ、能力にも恵まれるという最高のケースが一番幸せだと思いますが、そのようなことはなかなか簡単には起こらないようです。

 そういう意味で、自分の適性に合いつつ、かつそのことに遣り甲斐を感じられるような事、職業を見つけるのは理想ですが、非常に難しいことなのです。

 だからこそ、幼い頃から、その子に親の考え方で定まった道を無理強いすることは間違っているのです。ましてや、受験一辺倒の道を進ませることは非常に危険なことなのだと思います。

 このような難しい道探しを親だけに任せていては子供の人生の道を誤らせてしまう可能性が高いと思います。だからこそ、教育システムの中心的なテーマにすべきだと思うのです。

 つまり、実質的に受験を目的とした今の教育システムを大きく変革すべきだと思っているのです。義務教育を幼稚園から中学までの12年間とします。幼稚園では、スポーツと音楽を中心とした科目に集中し、その才能を見極めることに専念します。もちろん、社会性を養うようなこれまでの幼稚園の内容も実施しますが、あくまで、主眼はスポーツ、音楽、芸術系の才能を見出すことにするのです。そこでその分野の才能が見い出されれば、専門性の高い小学校に進学するようにするのです。その他の子供は一般の小学校へ進みます。しかし、この小学校も現在のような詰込み主義ではなく、子供達の「適性判断」と生きて行くに必要最低限のリテラシー教育(読み書き計算、情報)、コミュニケーション教育、健康教育が中心となります。

 中学も基本的には小学校の延長線上ですが、本人の適性を考慮して、学科の比率が変わるようにし、そのことで、より適正の確かさを検証することになります。

 高校は、大学の専門課程を目指すのか、技能的なマイスターを目指すのかで進学する高校を選択するようになります。

 問題は、大学の専門課程とマイスター課程の進路の職業に社会的地位の優劣をつけないことが重要です。また、本人の意志、希望と適性のマッチングをどうつけていくのかも大きなポイントで、教師の視点が問われる部分だと思います。

 今回は、大雑把なイメージを示しましたが、いずれにせよ現在の教育制度から大幅な変革をしなければなりません。

 根本的な違いは、権力者から見て必要な人材を育成しようとする今のシステムと本人の幸せな人生をサポートすることに主眼を置くシステムのどちらを目指すかということになります。

 新しい教育システムは貧富の差に関係無く、公平に子供達の適性判断、それに合わせた教育の機会を与えることに、社会全体としてフォローすることを狙ったもので、現在のような貧富の格差によって、一部の権力層、富裕層が権力と富を独占しやすいようにならないようにしたいのも狙いのひとつです。

 

 

投稿者

弱虫語り部

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