米問題が解決しないまま、農水大臣が辞任しました。彼は、インタビューでは、この問題に対して五年計画を進めていたのだが、初年度の段階で後任に託さなければならなくなったことが無念というような主旨の発言をしていました。

 どのような計画であったかは知る由しもありませんが、元々、日本の農業政策について、旧農林省、農水省やそこに関係する政治家達がこれまでどれだけのことを実施して来たのでしょうか。

 農業政策と旧農協、JA、そして農水族議員、そして自民党との関わりは切っても切れないものであったと思います。JAは組合員の利益、政治家は選挙での支持と言う持ちつ持たれつの関係が続いていたのです。ですから、政治家は選挙支持を得る為、JA並びにその幹部の損得で政策を進めて来たと思えるのです。

 農業政策とはJAと言う力を持つ団体のことより、将来の問題に対して、どれだけ効果的な政策を打つことが最大の使命であると思うのですが、残念ながら、そのようなことより、目先の両者の利益ばかり考えていたのかもしれません。

 日本の農業は歴史的に家族主義で、多くの農家を束ねる豪農、名主のような長(おさ)達が時の支配者との関係を良くするように尽力し、多くの農家を束ねていたのでした。

 太平洋戦争終戦後、農地解放により、それらの関係は壊れますが、家族単位での農家が中心となるスタイルには大きな変革も無く今日に続いて来ました。名主のような農業リーダーは無くなりましたが、現在はそれに代わりJAのような権力団体がとって変わったのです。

 問題は、世襲制を続けて来た農家の後継者が大幅に減少して来たことと、海外のような低コスト品とどのように対抗するかということでした。それこそ、50年前でもそのような危機感を持っていた人は多くいたと思います。もしも、その当時から、政治家や官僚がそのことにきちんと対峙して、対策を練っていたとしたら、今日のような問題は無かったかもしれません。

 後継者問題では、若者が三ちゃん農業と揶揄されたような過酷で零細な職業を避けたことが主原因であったと思いますし、海外の大規模農場の生産性に対抗するにはいかに家族農業から脱皮するかにあったと思いますが、何ら手を打てずに今日まで来てしまったのです。

 つまり、個人経営から組織経営にどのようにして脱皮するかと考えて、政策を立案しなければならなかったのです。このような問題こそ、政治主導、官僚主導で推し進めていかなければ、なかなか解決策は見い出せないのです。

 商業では、個人経営から主体は大型商業設備、企業へと変化して行きました。工業でも、鉄鋼などの重厚長大な産業は官営企業から生み出されて大企業となって行きました。その後、多くの技術革新により、様々な分野での新興企業が出来て来たのです。

 しかし、農業だけは未だに、家族経営が主体で、企業経営はまだまだ少数であります。確かに、欧米や南米、中国のような大規模な農地が少ないということがあり、規模の拡大は容易くありませんが、しかし、知恵を絞れば、家族経営からの脱皮は可能であった思います。一軒、一軒独立している農家を組織化するように、優遇策や支援策を具体化していくことを進めていけばいいと思います。確かに、旧態全となる抵抗勢力もあり、一筋縄ではいかないと思いますが、年月をかけて知恵を絞れば可能だと思うのです。まさしく、そのような本質的な問題から目を背けている間に、国際競争力も無く、農業志望の若者にも目を背けられるような今日の姿となってしまったのです。

 政治家が農水族として選挙対策主体のことしか考えて来なかったこと、JAなど農業団体は自分達の目先の利益しか考えこなかったツケで今日の日本農業の様々な危機を生んでしまったのです。
 

投稿者

弱虫語り部

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