前回のブログで、共働きを前提とする政府の施策について、自分達の無策を隠す為の都合の良い方便であると述べました。

 保育園を増やしたり、教育無償化を進めたりすれば、共働きでも、子育てを支援したいとのメッセージが伝わって来ます。しかし、どうして共働きをしないといけないのかを男女平等で、家事、子育てを分担しなければならないとする、一見、正しそうな論理に見受けられますが、そこに誤魔化しがあるのです。つまり、前回にお示ししましたように、大多数の日本人の所得が増えていない現実から目をそらすのが隠れた本当の狙いなのです。妻が働きたいから、働けるような環境を提供するのが重要なのですが、妻が働きたい、働きたくないとの選択権など無く、結婚して家庭を持てば、働かないと家計が成り立たないから働くとなっているのが実態なのです。さらに子供を育てるとなるともっとお金がかかります。昔のように、どちらかが、働いていけば、それで十分な稼ぎを得られるような世の中であれば、共働きを選択せずとも、どちらかの親が子育てに注力したいと考えれば、それが実行出来ていたのですが、日本では、この数十年の賃金の停滞の為に、共働きをしないと生活出来ないような家庭が普通になってしまったのです。

 子育てについても、いろいろな考え方があると思います。確かに、男が外で働き、女は家庭を守るというかつての標準的な家族スタイルは、女性の能力発揮を限定させているので、間違っていると思います。そうだからと言って、男女共働きを標準にすると言うのも、子育てという重要な仕事を軽視していると思います。子育て、育児、教育というものを一方的に、どちらかに押し付けることはおかしいと思いますが、かと言って、両親共にフルタイムで働き、子育て、家事を分担するというのも、子育てが疎かになってしまう危険性があると思うのです。子供にきちんと愛情を注ぎ、適切に育てていくということは非常に多くの労力が必要でありますし、重要な仕事であるからです。男女共に、自分のやりたい仕事に邁進する権利はあると思いますが、そうだからと言って、子育てを疎かにしては子供の成長に悪影響が及ぶと思います。結婚し、子供を作ると決意したら、夫婦でこの責任に真摯に向き合い、どう協力していくかを決めなければなりません。この段階で、男がメインで働くと言う昔の考え方は改めるべきと思います。つまり、女性がメインに働くことだっていいと思うのです。しかし、どちらかは子育てをメインにすることが必要だと思うのです。夫婦ともに仕事に全精力をかけたいのなら、子を作らないという選択もあると思います。つまり、子育てはそれほど大切な事だからです。

 社会の多様性を認め、受け入れることはすべての人間の基本的人権を尊重するという事の為に必要だと思います。ですから、大前提となるのは、誰もが自分の考えで、結婚する、しないを決めたり、子供を作ったり、作らなかったりを決め、生きていけるような環境を作ることだと思います。望めば、共働きも選択肢となる環境を作るとと言う事だと思います。その為には、どのような道も尊重し、どの道を選んでも、等しく生活出来るような社会の仕組みを作らないといけないと思うのです。ですから、食っていけないから、仕方なく共働きを選ばなければならないような社会であってはならないのです。普通に生きて、普通に真面目に働けば、家庭を持てるような収入が得られるのが必要だと思うのです。

 その基盤が出来ていれば、独身で生きて行くのか、結婚するのか、子供を作るのか、作らないのか、共働きで夫婦とも仕事を持って人生を送るのかも、その人、もしくは、夫婦間で決めていけば良いのです。これが本来の個々人が自分の人生を選択出来る理想的な社会だと思います。その為には、国民みんながある程度裕福な生活を送れるような社会を作ってこそ出来ることなのです。現在のような、貧富の格差が大きく、一部の裕福で特権階級の人間以外は、生活するのがやっととなるような状態を変えなければならないのです。それが政治の使命だと思います。自分達政治家は裕福なので、その既得権益を守ることを優先し、多くの国民の生活を豊かにすることは口ばかりでなんら実効ある方策を示せない、実行出来ないような人達には、政治の世界から抜けて行って欲しいのです。だから、政治家が多くの報酬や手当や特権を持っていては、いつまで経っても、何にも変わらないのです。

 

 

投稿者

弱虫語り部

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)