イスラエルとイランの双方の攻撃が激化しています。両国とも、自国の考えに固執し、相手を暴力的に破壊しなければ自国が大きな損害を被るとして、この攻撃を正当化しています。
武力に頼ることは、太古の歴史以来、権力闘争のメイン手段でありました。しかし、文明が高度に進化し、世界に拡がって来て、それぞれの意見を話し合いでぶつけ、答えを見出す解決方法が人類にとって最も賢明であることが明らかになっています。しかし、残念ながら、世界の多くの国では、原始的な殺し合いを解決手段と選択する愚かな行為に頼る権力者がかなりの数、存在しているのが現実です。
それらの武力衝突は、ほとんどが覇権争いなのです。領土、資源の奪い合い、そして、権力者自身の保身です。そのことに、国民の生活を守る為として、かつ宗教的、主義的、人種的な衝突を絡めて、自己の武力行使を正当化しています。しかし、多くの一般庶民にとっては生活が成り立てばいいのですが、それが上手く行かない原因をそれらの衝突に起因すると権力者から示されて、武力行使を是としているのです。
歴史的にも、宗教的、主義的、人種的な違いはあっても、共存出来ていた例はいろいろとあります。つまり、これらの差は、権力争いを正当化する為に利用しているだけなのです。結局は力(武力)で敵対する相手を滅ぼすことが、最も簡単な方法として、権力者達に利用されているだけなのです。
コストパフォーマンスと言う側面から見ても、破壊の限りを尽くす戦闘ほど非生産的なものはありません。死傷者の人的被害、建造物、機械、資源、作物など物的被害に関わる損害額、その破壊に要する武器などの消耗額は途轍もない額になるのです。これらにかかった費用を両国の庶民の為に使用することが出来れば、どれだけの人達の生活が支えられるのか、どうして考えないのでしょうか。
法治国家だと主張するのであれば、武力は、犯罪者に対抗するだけでいいのです。国家間の争いには、武力ではなく、お互い妥協点を探し、話し合いで解決すれば、どれだけの富を国民の為に使用出来るかを考えてみてください。
このような全人類的に生産性を第一に考えることが、権力者達に出来れば、この世界にも非常に多くの人達がある程度豊かに暮らせる社会を実現出来るのです。
と言うことは、今の権力者の多くは、国民の生活より、自分自身の欲望を満たすことの方を優先していると言うことなのです。我々はそのことをしっかり認識して、誰に権力を委ねたら良いかを決めなければならないのです。