小学校の先生が生徒の盗撮画像を共有するグループが摘発されました。教職に就く人達の中にこのような犯罪グループが存在することに、多くのひとは愕然とされたと思います。

 この事件への批判はマスコミやSNSで多く語られていますので、ここでは、どうして、このようなことが起こるのか、どうすれば防げるものなのかを考えてみたいと思います。

 人間には、善悪、いろいろな面が備わっていることが普通だと思います。そして、性癖と言われるような嗜好も人様々です。性へのこだわりも、対象とする人も千差万別だと思います。なかなか人には話せないような嗜好を持っている人も多くいるかとも思います。それらは、生まれついたときから備わっていた性質や、その後の生き方からいつの間にか身についたものもあるのかもしれません。だから、それらを完全に否定したり、批判するだけでは、問題は解決しないものだと思います。

 そのような性質を持っている自分を客観的に認識することも重要だと思います。そして、一番のポイントは、そのような性質からどのような行為に走ってしまうかということをきちんと考えてみるべきだと思います。それが今回のような犯罪やハラスメントになってしまうかその前で止まるかは、自分の欲望から行いたい行為が、他人にとってどのような影響があるのかと言うことを冷静に考えることが大切です。

 他人の立場に立って考えられる想像力が一番重要なのです。想像力を持てていれば、今回のような行為に走ることを自戒することが出来ると思います。

 否、そんなことで留まれる理性がある人間であれば、こんな卑劣な行為はしないでしょう、こんなことが出来る人は鬼畜なのだと、切って捨てる人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。生物の中で唯一、人間の欲望は果てしないものなのですが、それとバランスをとるように理性というものも備わっているのです。そして、自分がやられる側に立ったときの痛み、苦しみ、悔しさなどに考えを派生していけば、そのような行為を実行すべきでないと自戒出来るのです。そして、そのようなことが社会に及ぼす影響も考えられれば、留まれる筈です。そのような人間に備わっている筈の理性を発動出来ないのは、欲望を達成することしか見えないようになってしまうからです。そのような状態に陥らないように、自分の行為が他人や社会にどのような影響をもたらすのかを、習慣的に考えるような思考力を幼い頃から、繰り返し、身につけなければなりません。家庭や学校では、そのような思考回路を形成させるように、躾ていくことが大切だと思います。今の家庭や学校では、自由や個を大切にするあまり、社会的な躾が野放図になっているかもしれません。

 個々を大切にすること自体は非常に重要ですが、そこをはき違えてしまうと、他への影響を無視して、自分の欲望を叶えることを第一にしてしまう人間が出来上がってしまうのです。

 人間の自由をはき違えてはいけません。社会の一員として生きて行く上では、社会的な他への配慮がきちんと為されてはじめて自由が得られるのです。このことを、精神的に未熟な幼いときから、厳しく教育していくことが必要なのです。

投稿者

弱虫語り部

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