参議院議員選挙が終わりました。各党の党首などが、結果についてコメントを上げています。敗戦の理由を、国民の皆様に我が党の考えが届かなかったというようなことを言う方が多かったのですが、そんなことではなく、国民がその公約や考えに賛同しなかったからだと思います。なかなかそれを認めたくないのか、自分達の政策はいいんだが、きちんと国民に届かなかったとどうしても自分達の政策は正しいとこだわっているのを聞きますと、それじゃあ国民に支持されないのも仕方ないなと思わざるを得ませんでした。また、議席数を伸ばした政党でも、消費税減税、国民の手取り増加の訴えが効いたとしても、どう実現するかは曖昧な感じでした。
選挙活動中も選挙後も各党の幹部などの話を聞いても、何か大きな違和感を感じずにはいられませんでした。
ひとつは、経済発展させなければ、国民の生活を豊かに出来ないが、時間がかかる、そのつなぎとして、消費税減税で国民の生活を支えなければと言うようなトーンはどの党も同じでした。もちろん、経済発展するに越したことはありませんが、例え、現状でも、国民の生活を豊かに出来る方法があることに触れる人はあまりおりませんでした。
最近のニュースで、アフリカでは4人の超富裕層がアフリカ全体の半分の人が持っている富と同じだけの富を保有しているそうです。つまり、ほんの一握りの人間だけが非常に豊かな生活を享受していますが、ほとんどの人達は貧困に喘いでいて、その為、紛争が絶えず、治安も非常に悪い状態が続いているようです。
日本はそこまで富が偏っている訳ではありませんが、失われた30年間の間に、富裕層、超富裕層が増え続けていまして、反面、庶民の生活は益々苦しくなっています。つまり経済的な格差がどんどん広がっているのです。今の政治家は、経済的に発展出来なかったから、衰退したから、現在の日本の庶民の苦しい暮らしがあるとの前提で話をしていますが、今、日本が生み出せる富の総量を前提にしますと、偏りをある程度是正すれば、今の富で、ほとんどの人達がある程度豊かな生活をおくることが出来るのです。この格差是正が最も手っ取り早く、日本の中の政治だけで解決出来る問題なのです。もちろん、長い将来を考えれば、発展を目指して、いろいろな手段を講じることは必要でありますが、それがないと本質的に庶民の暮らしが良くならないというのは間違っていると思うのです。
また、もし消費税減税をすれば、減税で減る税収入をどうするのかという財源問題の議論になります。それは大変重要なのですが、最近の税収増加分を使えとか、国債をさらに発行しろとか、小手先の方策ばかりが出て来ます。一部の党で、大企業や富裕層の税金を上げろということを主張されているのも耳にします、前述しました格差是正という観点からは正しいと思いますが、もう一歩本質に迫れていないと思えるのです。
それは、本来、政治家や官僚の真の目的は、国民の安全で豊かな生活を守るということですが、この最終目的をみんながわきまえて仕事をしているかと言えばそうでは無いことが、非常に効率の悪い金の集め方、使い方をしていることにつながっていると言わざるを得ないのです。そこのところを見直せば、減税も出来ますし、税金の無駄使いも無くなるのです。
分かり易い例を上げますと、大臣、議員も財務省官僚も、彼らの目的は、如何に多く国民から税金を徴取し、その税金で、自分達の地位や報酬や年金を確保するかということだと分かります。その為、世界で通用しているあらゆる税を導入しようかと考え、その代表例が消費税です。消費税というものを導入することで、企業や個人事業主の事務的負担を増やし、またお役所の仕事も大幅に増やしています。消費税により、国民は経済的に負担増になり、企業も経済的、事務的負荷増となり、民間にとっていいことは少しもありません。それなのに、企業が黙っているのは、法人税減税とセットで進んでいるからです。役所関係も事務的負荷が膨大になりますが、一方では、役人の雇用が守れるというメリットがあるので、我慢しているのだと思います。
私は、国を発展させる為には、国民が生産的な活動に注力出来るようにすることだと思っています。基本は、その生産活動から得られる所得の大きさに比例して、税金を徴収することだけで十分だと思います。単純にすればするほど、誤魔化しがやり難くなりますので、税の徴収も簡単になります。そして、国、自治体は本来の仕事である国民へのサービスに集中出来ますし、事務軽減により余った労力をさらに充実させなければならない福祉関係に向けることが出来るようになります。
このように発想を転換し、議員も官僚も何の為に仕事をしているのか、本来の目的に適うように進めることが出来れば、日本はまだまだ国民みんながある程度豊かに、それぞれが幸せを求めることが出来るようになると思うのです。
要は、今の政治家も官僚も心底から国民を豊かにしようと考えている訳でもなく、それだから、またとことん考え尽くすような知恵も無いから、最も効果的で、本質的な方策を打ち出すことが出来ないのです。