八十年前の八月に、長崎と広島に原子爆弾が投下され、甚大な被害を被りました。その悲惨さは、数々の記録映画、小説、漫画などによって我々後世の日本人にも伝えられて来ました。一方、米国では、太平洋戦争を終結する為には原爆の使用は必要であったという見解が広く喧伝されていて、それを信じる人達が多数を占めていましたが、最近になって、若者を中心に、その意義を疑う人達が増えているそうです。
もし昭和二十年八月以降も米軍の本土上陸が決行され、戦争が続いていたとしたら、日本全土が戦場と化し、多くの犠牲が出ていたことでしょう。それに比例して、米兵の犠牲も軒並み増えていったことは間違いないと思われます。米国でのインタビューでは、米兵の命を一人でも多く助ける為には、日本人が犠牲になっても仕方の無いことだと答える市民も多くいたように思います。
そのような人達に、廃墟と化した広島、長崎市街地、無惨な姿の一般市民の犠牲者の姿を直視してもらうべきだと思います。英訳された、数々のノンフィクションや「はだしのゲン」などの作品がきっと真実を知らせてくれると思います。
戦争を少しでも早く終わらせることは重要だと思いますが、その手段が原爆投下しか無かったと言うのは、間違いだと思います。多分、米国軍の一部の幹部が兵器としての原爆の威力を実地体験したいと考えたのではないでしょうか。そのような戦争人間には、多数の一般市民を犠牲にしようが、それより、大都市に原爆を投下したら、どのようなことになるかを見たかったのでしょう。
その当時には日本の敗戦はほとんど決まっていました。それは誰の目にも明らかだったと思います。それなのに、日本の中でも、皇軍は負ける訳は無い、国民が玉砕精神で奮闘すれば必ず神風が吹くと、負けを認めなかったのは、一部の狂った軍人達だけだったはずです。そういう意味で、米軍としては、その中枢である大本営の関係個所を集中的に爆撃すれば、済んだのではなかったのでしょうか。
いつの戦争でも、犠牲になるのは、戦争などやりたくない筈の多くの一般市民です。そして、戦争を狂ったように進めるのは、一般市民の命などつゆとも気にしない、己の欲望に縛られた権力者とその取り巻きの狂った戦争屋だけなのです。
この構図を忘れてはいけません。日本人も悪魔達にいいように踊らされ、米国人も愛国精神の名の下に、狂気的な行動をとることに麻痺していたのではないでしょうか。
権力者と取り巻きは、戦地から遠い所で、敵兵、敵軍を殺せと命令を出す、現実には徴兵された一般市民同士が最前線で殺し合い、それで戦死すれば、権力者達がその仇をとれと自国民を殺人に駆らせるのが常套手段だったのです。
そのような考え方の延長線上に、原爆投下で広島、長崎の一般市民を大量殺戮しても、それは戦争を止める為という大義があったとする、行き過ぎた行動があったのです。
普通の状況であれば、日本人も米国人も、敵とは言え、無力の一般市民を殺していいとは考えないでしょう。それが、権力者や軍幹部のプロパガンダにより、その冷静な精神を失ってしまうのです。そのことを正当化しようと、長らく米国では、教育の中でも、原爆投下は正当だと教えて来ました。
そして、長い年月が経ち、米国にも原爆投下時点のその戦争に対して何の罪も無い市民達の本当に悲惨な真実が伝わりつつあり、若い世代を中心に、原爆投下を疑問視する人達が増えて来たのです。