第二次世界大戦での、ナチスドイツの侵略戦争において、様々な攻防戦がありました。そして、その間に、数百万、数千万人という大量の死者が出ました。

 これらの死者の生死を決めたのは、当時の最高権力者達でした。ドイツのヒトラー、ソ連のスターリン、米国のルーズベルト、英国のチャーチルらの判断で、多くの人間が死地にやられたり、死刑同然の命令を宣告されたりしたのでした。

 スターリンが独ソ戦で、自身の名前のついたスターリングラードの攻防戦において、どれだけの犠牲者を出しても、スターリングラードを死守せよと命令したことは有名で、ソ連側に百万人規模の死者が出ました。尚、第二次大戦を通じてソ連の死者は二千万人を超えていました。

 連合軍のノルマンディー上陸作戦において、チャーチルらは、作戦初日に動員された約15万人の兵隊の内、三分の一の戦死を想定していたと言われていました。この上陸作戦がどれだけ無謀なものかを認識していたのです。結果は運にも恵まれ、戦死者は数千人に留まったようです。しかし、最激戦地であったオマハビーチでの第一波上陸部隊では90%の死傷率であったそうです。上陸船から海に入り、進軍していく兵隊達はドイツ軍の恰好の標的となり、次々と撃たれて倒れましたが、そんなことは関係無く、後続部隊が次々と後を追い、死体の山を越えて進んで行ったそうです。

 ドイツの第二次世界大戦での死者数は約700万人に上りますが、その半数は、ドイツが西のソ連、東の米英他連合国から押し戻されて、敗戦が濃厚になった以降の10ヶ月間に亡くなったものです。もし、ヒトラーが軍幹部達の降伏の提案に従っていれば、死なずに済んだ命の数だったのです。しかし、ヒトラーは無謀な戦いを続けさせたのでした。

 このようにヨーロッパ戦線で、権力者達の判断によって多数の死者が出たのです。同時期の太平洋戦争でも、日本軍が敗色濃厚の時点でも、玉砕的な戦闘を最前線の兵や民間人に強いて、もし早く降伏していれば死なずに済む人達の命を奪いました。さらに、米国のトルーマン大統領は広島、長崎に原爆投下の命令を出し、多くの市民を含む数十万人の命を一瞬で奪いました。

 これらの例は、地球上の一握りの人間が、多数の人間を殺戮することを命令したものです。生殺与奪の権限を権力者が持っていたのです。本来、人間には、自分も含め人間を殺すような権利を誰一人として、持ってはいない筈ですが、歴史の中では、巨大な軍事力を持つ権力者達は、生殺与奪の権限を持っているような振る舞いを行って来たのです。狂気の沙汰が明らかであっても、取り巻きが誰も止められなかったケースがほとんどです。

 それらの状況を考えますと、個人や少数の人間に権力を集中させてしまうことの怖さがよく理解出来ると思います。

 強いリーダーを求める庶民は多くいると思いますが、権力の集中、独裁というものの本当の怖さを認識すべきです。敵はもちろんのこと、例え味方であっても、兵隊や一般庶民の命は、虫けら同然のものとして扱われるのです。

 暴力で物事を解決しようとする権力者達には、自分や家族、一部の人間以外の命などは、自分の欲望を達成する為であれば、大して問題では無いのです。

 これらの歴史を見ていて、私が思うのは、戦争などで命の危険に晒されるのは、多数の最前線の兵隊や侵略された街に暮らす多数の市民達なのです。だからこそ、我々は戦争に加担してはいけません。敵も味方も関係無く、皆が戦争を放棄すれば、戦争など起こしようがないのです。

投稿者

弱虫語り部

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