このブログは、少しでも多くの人が幸せな人生を送れるようなヒントをお伝えしたいと思い、始めました。幸福論には、個人がやれる部分と社会環境に影響される部分の、両面があります。後者では、誰でも幸せを追求出来るような社会にする為に、現在の世界情勢、日本の政治の在り方などについて、新ハルモニア主義の考え方を述べて来ました。最近も、我々を取り巻く環境があまりにも理不尽、不条理なことばかりで、そのことに関するブログが多くなっています。もちろん、そのことは非常に重要な事なので、今後も続けて行かなければならないと思っていますが、今日はもう一度、個人的な生き方について、考えてみたいと思います。

 生きて行くには、お金や食料、その他の必需品、住む場所など、ある程度の物質が必要です。それらを獲得する為に、労働をしないといけません。その活動で、ある程度の生活を出来ることが土台となるのですが、その生活の中で、幸せを求めて行くのが人生であると思います。幸せとは、自分が充実感を感じられる生活そのものです。しかし、問題なのは、そのことと様々な欲望を達成することが紛らわしいことです。

 その中でも、物質欲、権力欲、征服欲などが他人の生活を壊すことにつながってしまうことが、この社会を混乱に陥れることになっています。社会が混乱すれば、ほとんどの人の幸せ探しがうまく運ばなくなってしまいます。そこを充分考慮すると、自分の幸せ探しを認められることには、他人の幸せ探しを認める、尊重するという、協調という考え方が必要なのです。

 そして、真の幸せとは、膨大な富も権力も必要ではありません。否、富や権力の追求の中には、軋轢、紛争が必ず付きまとい、不安に苛まれた状態の中での刹那的で、空しく、かりそめの満足感だけが存在するだけです。必要なのは、協調精神の下の平穏で秩序ある社会なのです。そこを目指すのが、新ハルモニア主義なのです。このように言いますと、競争社会が無ければ、進歩などあり得ないと言う人がいます。人類の歴史は、競争、弱肉強食の世界が続いたから、これだけ発展したのだと。確かに競争は必要ですが、実力で競うことが重要であり、権力や暴力で相手を叩きのめすような競争は必要無い、否、かえって純粋な発展を阻害すると思います。

 このような幸せへの本質を理解出来ない、又は知らない人間が、目に見える富や権力をついつい追い求めてしまうのです。このことは、今の学校では学ぶことは出来ません。今の教育は、富や権力を追い求める受験戦争を前提にしているからです。表面的には道徳的に人間性を重要としながら、実際は競争して、他人よりいい大学に入り、いい会社やいい職業に就くことを勧めているのです。

 ですから、ここにポイントがあります。人間が生きていくには、幸せ探しが非常に重要なのです。どうしたら、多くの人がそれぞれ幸せを追求する生き方をして行けるかを学ぶことが一番重要なことです。その核心を学んだ上で、それぞれの人が追求するものを得る為に必要なことを学ぶべきです。もちろん、国語、算数、理科、社会、語学も、目的に適うならば、勉強していけばいいですし、スポーツの為に鍛えたり、芸術を追い求めるたり、いろいろな技術の匠になる為に修行するのもいいのです。要するに、受験勉強を全ての子供の能力を測るかのような今の偏った学校教育は改めないといけないのです。好きでもない勉強に多くの時間と労力をかけ、いくら給料が良くても、好きでもない仕事に就くだけでは、本当の幸福感は得られません。それより、充実した日々を感じられる仕事に就き、それで生活費を稼ぐことが出来ることこその方が全然素晴らしいのです。

 各々が自分の幸せを追求出来る社会というものには必ず協調関係が存在します。一方、自分の欲望を追求する社会には、一部の人間が権力や富を独占し、大きな格差社会が存在するのです。

 このことを基本とする幸せな人生をどうしてつかむのかということを小さな頃から教えられて、多くの人達がお互いの幸せを尊重しながら、自分の幸せを追求していけば、もっと平穏で明るい社会を実現出来ることでしょう。

 その為に、親や教師も考え方を変えなければなりませんし、文部科学省や教育委員会が今の教育体系を改正する必要もあるのです。まずは、そのことを広く社会に浸透していかなければ、そのような変化は訪れないでしょう。しかし、そのような社会変革が行われなくとも、まずは、このブログを読まれた皆様が、富や権力を求めることに惑わされずに、自分自身の本当の幸せを追求することに目覚めていただければ幸いです。