伊東市長について、一番問題だと思うことは、市民の為に尽くすことより、自分自身の保身の為に行動していると思えることです。彼女自身は、太陽光発電事業や図書館建設などの箱物行政を止めるのは自分しかいない、だから、どんな手を使っても、市民の為に市長の座にしがみつくとして、今のようなやり方をしているのだと自己弁護しているのでしょう。しかし、これまでの不誠実で、虚偽の行動をするような人物には、市長のような重職を担うことが出来ないという議員や市民の思いを全く理解出来ていないのです。市民からの信頼、支持無くして、まともに行政など出来ないことを理解すべきです。もし、彼女の思いが正しいのであれば、問題が起こった段階で、すべてを白日の下に示して、どこに問題があったか、どう反省するかを公表すべきだったと思います。小手先の誤魔化しで何とかしようとしたことに彼女の人格が現れていたのです。その後も、捜査対象であるから、卒業証書は見せられない、質問には答えられないと、強弁したのは、まさしく、自分自身の保身の為であり、もし、市民の為と思えば、正直にすべてを晒し、その内容を持って、市議会や市民に判断を委ねるべきだったのです。
一方、自民党は参議院議員選挙の責任をとらなければと石破首相に退陣を求める声が生まれ、石破首相がそれを拒むと、総裁選挙の前倒しを狙うような動きが進み、そのような動きに対し、自民党内での賛否が入り乱れていました。いずれにせよ、自民党も党内の権力闘争が根底にあり、ここでも国民不在の騒動でしかありませんでした。
そして、昨日、石破首相が辞意を表明しました。参議院議員選挙後約50日の自民党内の混乱の末の、首相なりの決着だったと思います。
私は、石破首相を支持している訳ではありませんが、自民党議員達が、選挙の結果責任を叫ぶ声を続ける態度に、この人達は、国民の方を向いていない、ただ、自分達の選挙そのものが重要であると考えていることがはっきり判りました。
何故に、自民党が敗北したのかということに正面向いて考えている議員がどれだけいたのでしょうか。それは国民が自民党の政策、体質に対して、ノーと判断したことを理解していないのでしょうか。そこ無くして、親分の首を挿げ替えるだけで、自民党への支持が取り戻せると言うのは、本当に浅はかな考えなのです。選挙をもし反省するのであれば、自民党の体質、政策案を変えていくしかないのははっきりしていると思います。
どうして、まずはそのことを声高に叫ぶ議員がいないのでしょうか。石破降ろしや総裁選挙より前に、どのように自民党を変えることを議論するのが先だと思います。そして、その改革案を推進するのに、石破首相が相応しくないということではじめて、石破降ろしを進めるべきです。また、もっとも国民の支持を得られる変革案を推進するに適した新総裁を選ぶべきだと思います。
最も失望しましたのは、自民党議員総会の中で、責任論や総裁辞任を中心にするより、自民党はどう変わらないといけないか、そして、国民の支持を得られるような政策をどう具現化していくかを、皆の知恵を結集して、形作りましょうと、今、石破降ろしや総裁選の話のような、自民党内部の争いに貴重な時間と労力をかけるのを止めましょうと言うような道をつける議員がいなかったことです。だからこそ、彼らは自分達の地位を決める選挙が一番大事であると考えているとしか思えないのです。
そして、そのように国民から見られていることも分からないで、恥ずかしげも無くまるで猿山のボス争いのような醜い争いを続けているとは、自民党には本当に国民の生活を何とかしようと本気で考えている政治家はいないのでしょうか。口では、自民党は解党的な出直しをしないと、抽象的なことを言っている議員は何人もいますが、実際やっていることは、単なる権力闘争で、何ら今までと変わっていないのです。
議員の本音は、「議員ほど美味しい商売は無い、その為に第一党の自民党にいるのに、選挙に勝てなければ自民党にいる意味が無い、どうかして国民の人気が上がるような新総裁に挿げ替えて、国民を騙して欲しい。政治と金の問題も、選挙制度変革の問題も、なあなあで進めて行ければ、それが一番いい。国民の生活が豊かになればそれに越したことはないが、その為に、自分達議員の今の待遇や権利を大きくは犠牲にしたくない。国民の生活より自分達議員の生活が重要なのだ。」ということではありませんか。
結局、伊藤市長も自民党議員も、同じ穴の狢(むじな)であり、上辺では国民の為、市民の為と叫んでいても、実は、自分が一番大事なのです。そんな人間達に、国民、市民の代表やリーダーにはなってもらいたくありません。自分が一番であるのなら、公僕ではなく、違う職業に就くべきです。しかし、どんな職業も利己主義が講じ過ぎると、失敗するのが社会というものだと思いますが。