女優で作家の吉行和子氏が亡くなりました。テレビで彼女の生前の言動などが紹介されていました。特に印象に残ったのは、「今でも戦争をしている人間は本当にバカである。戦争などは誰も幸せにならないのに何故やるのか、そう考えると、どこかに得する人間がいるのでしょう。」と言ったような内容の発言をされていたことです。

 正にその通りだと思います。人類はそのような真理をわからないほど愚かなのでしょうか。

 日本は過去、志那事変、太平洋戦争を起こし、狂気とも言うべき戦争を進めました。この敗戦により、生き残った日本人は喰う為に、遮二無二になりふり構わずに生をつないでいました(このような状況では、生きることを優先することで産まれる人間の愚かさはある意味し方無いのかもしれません)。その後、復興期を経て、高度成長時代へと行き着くことになるのです。そこまで来れば、多くの国民がある意味喰うことに困らないような生活を享受出来るようになり、さらに豊かさを目指して、一億人ががむしゃらに働くことになるのです。

 私が着目しますのは、そのような美談の陰に、このようなある程度生活の目途が就いて来た時代でも、人間の愚かさが随所に見受けられたことです。生活面では、多くの人がゴミを道や川や湖沼や空き地に無造作に捨て、また、公共の場であろうが、職場であろうが、周りの人の迷惑など関係無くどこかしこでも喫煙するのが当たり前のような状態でした。通勤ラッシュでは、我先にと他人を押しのけ乗車率300%の満員電車に乗り込む姿が毎日の恒例行事となっており、整列乗車や譲り合いなどはあり得ない状態でした。

 このような個々人の振る舞いの延長線上に、役所や企業の社会への影響など考えないいい加減な金儲け至上主義が蔓延していました。首都圏でも、当時、水洗便所は稀であり、汲み取り方式でしたが、そこで集めた汚物を処理出来なくて、東京湾から数十キロ離れた海洋に投棄していました。そうすれば、東京湾の汚染は免れるとの判断でしたが、海流に流された汚物がどこに届くのか知ったことでは無いというような無責任な行為だと思います。また、高速道路、鉄道、大型建造物などの建設ラッシュが続きましたが、そこに働く労働者の安全は軽視されていて、毎日のように多くの犠牲者が出ていても、工事は続けられていました。そこに使う建材も、コストパフォーマンスが高ければ何でもいいと言うような判断でしたので、後に大問題となるアスベストも大量に使われていたのです。自動車の普及も増加の一途をたどり、それなのに、交通ルールーや安全対策も疎かで、毎年一万人を超える死亡者を記録していたのもこの頃でした。このような社会の無責任体質の最たるものが、公害だったのです。代表的な水俣病では、大企業ですら、無責任に利益を追求することにより、毒物を垂れ流していたのです。それなのに、国も自治体も当事者の企業もそれらの危険性を軽視し、被害者が多数出ても、因果関係がはっきりしないと、責任回避に努めていたのです。同様に、大気汚染、海洋汚染、土壌汚染など、そしてそれに関わる公害は、日本のあちこちに起こっていました。

 事程左様に、人間の社会には、ある程度豊かになっていったとしても、目先の利益しか見ないで、将来のこと、環境のことなど気にしない無責任が蔓延していたのです。その延長線上に、原子力発電の事故、放射能汚染が起こったのは、いい加減な人間の為せる業とも言えるかもしれません。

 人間には、他人に優しく、自己を犠牲にしても尽くすような人も間違い無く存在していると思いますが、私を含め多くの人間は目先の利益に翻弄されて、前述したような愚かな行為を集団で行ってしまうのです。本来であれば、リーダーたらんとする人間達がその愚行を諭し、先を見た、いろいろな方面への影響も予見して、そのような愚かな私達一般庶民を良き未来へと導いてくれなければならないと思いますが、現実はそうはなっていないのです。

 一握りの善人だけでは足りません。まずは、その善人達こそが政治のリーダーとなり、そして、我々、一般民衆ももう少し賢くならないといけないのです。それは今の学校の単なる勉強では身につかないのです。その目を養うことこそ、人類が平和で豊かな生活を享受出来る為の鍵だと思うのです。己の欲望より、多くの人間が協調して、助け合い、支え合うような社会を作ることこそが、自分のそしてみんなの幸せを叶えるられると理解しないといけないと思います。

投稿者

弱虫語り部

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