前回のブログで、自由というものも、歯止めがかけられなければ、貧富の格差が拡がる一方で、その結果、多くの民衆の生活が苦しくなり、そこに武力を持って、他国を侵略し、富を強奪してでも、自分達の生活を良くするような主張が大衆に受け入れられ、侵略戦争が勃発するようなことが歴史的に繰り返されて来たと述べました。その裏には、権力者や一部の超富裕層が自分達の権力と富を守る為という本当の狙いが隠されているのでした。

 権力者は自国内の治安を守ることには熱心であり、その部分については、社会の秩序を重要視していますが、こと自分達の立場を揺るがすようなことには、暴力を持って対処することに平気なのです。そして、他国民については、もっと冷徹で、他国を侵略し、その国の軍隊だけでは無く、一般庶民の生活、命を奪うことも平気なのです。ですから、本心のレベルでは、自分にたて突くような国民を排除することなど全く気にしないのです。

 我々庶民はそのことを念頭において、事にあたらなければなりません。他国を敵視し、その罪の無い市民達の命を奪うような権力者は、自国民であろうが、自分の言いなりにならなければ、そんな命は軽々しいものとしか見ていないものです。

 国の為だから、敵を抹殺しても良いという論理はまやかしでしかありません。そういう人間は、自分以外の人間の命などちっとも大切ではないのです。本当に、人間の命を大事に思っているひとは、暴力を進んで使用しないものです。話し合いでかたをつけようとします。自分中心の権力者は話し合いをしても、勝ち目が無いから、暴力を使うのです。そうです。自分の欲望を達成するという誰からも認められない考えが根底にあるから、それを隠す為に、話し合いを否定しているのです。

 だから、戦争、侵略、暴力についてどんな大義名分を唱えようと、そんなことはまやかしであり、その大義名分と言うものが間違っているから、話し合いで通らないのです。武力に訴えるということはそういうことなのです。そして、その判断が、侵略された国民だけではなく、自国民の生活をも不幸に陥れるのです。

 独裁的な国だけではなく、民衆が主体となるべき民主主義国家であろうが、国民のことをないがしろにして、一部の権力者、富裕層を優先していけば、同じことが起きるのです。そのような権力者は自分の失政が原因で国民の生活を苦しめているのに、それを他に転嫁する為に、他国を敵として、国民の眼をそちらに向けさせるのです。

 そうなのです。本当に国民の為に政治をする人間は、決して、武力、暴力などを使わないのです。百歩譲ったとしても、他国からの理不尽な侵略に対するとき以外は、決して武力を使わないのです。それなら今の日本は安心だと思うのは間違いです。これから、もっと貧富の格差が拡がり、多くの国民が貧困に喘いでくれば、きっと武力を主張する権力者が台頭してくるのです。それは歴史が証明しているのです。だからこそ、早めに貧富の格差の拡がりを止めないといけないと思います。今のうちに。

 しかし、歴史的に長い目で見れば、そのような権力者や一部の優遇された富裕層も、結局は、不幸の最後を迎えることが多いのです。そういう意味でも、武力を使う権力者もそれに迎合する国民も愚かなのです。

投稿者

弱虫語り部

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