新潟県にある東京電力柏崎刈羽原子力発電所の再稼働について、30㎞圏内の9市町村の住民への意識調査の結果が公表されました。新潟県知事はこの調査結果を判断材料のひとつと位置付けており、11月中には判断するとの見方があります。

 原発が立地する柏崎市と刈羽市では、再稼働を容認する意見が多く、その他の7市町村では、意見が拮抗する結果となっています。

 昨今の電力事情から、再稼働が必要であるとの東電の意向はありますが、東日本大震災時の福島第一原発の大事故により、住民の感情は複雑なものがあるようです。原発が立地している二市で再稼働を容認している割合が多い背景には、原発が住民の雇用などにも関係しているからかもしれませんが、本音レベルでは誰も心穏やかでないのでしょう。

 東京電力は震災前にも、原発の安全性を完全なものと主張していて、あのような事故を起こしてしまったのですから、今度は完璧な対策を講じていると言われても、簡単に信じられるものではないでしょう。

 私は以前のブログでも述べさせてもらいましたように、東電の経営陣が現場技術者達の懸念に真摯に対応していれば、あんなことにならなかったと思っています。原子炉に冷却水を供給するという生命線についてのリスクは何重にもの安全対策を打つことが当然だと思うのですが、東電経営陣は利益至上主義で、それを怠ったのです。つまり、水没が予想出来る低部に電源設備を置いていることの基本的なリスクが多大であるのに、政府が予想している地震による津波の高さであれば問題無いということで、このリスク対応を一蹴してしまったことです。

 これはひとえに彼らのリスクマネージメントの弱さを露呈したことだと思います。つまり、事が起こる確率がどんなに低くても、もし起こってしまえば取返しのつかないような甚大な被害が想定される場合には、きちんと対策を講じてリスクを潰すことが基本だと思うのですが、そのような考え方に立てなかった、立たなかったことが、万死に値するほどのミスマネージメントであったと思います。

 人類はこれまでにいくつもの大きな発明を為して来ていますが、そのような技術革新による恩恵の裏に必ずデメリットがあります。それを充分考えて、発明を実用化していくべきですが、そこにビジネスとしての利益至上主義的な考え方が混入すると、人類に大きなリスクが具現化してしまうのです。いろいろな公害問題がそうですし、地球温暖化問題だって同じです。だから、そのような人類に対して大きな負の影響が予想されることに関しては、ビジネス中心に進ませてはいけません。それこそ、官が先導すべきものだと思います。しかし、残念ながら、指導すべき政府、役所がそれらの発明によるリスクをきちんと想定出来ない程度のレベルであるのです。もちろん、専門的な部分は学者や技術者の意見を汲み取らないといけないのですが、今の政治家や官僚は御用学者と呼ばれるような自分達の意向に沿う意見を持った学者、技術者の意見を拾ったと言ってお茶を濁しているのです。

 私は原子力は人類に役立てるべき技術であると思いますが、残念ながら、今の指導者、政治家、官僚幹部にそれをきちんとマネージメント出来る力は無いように感じています。核廃棄物の処理の問題にしても、問題を先送りして、誰も責任をとらなくていいように、スピード感を持って推進しようなんて考えていないのでしょう。

 「臭い者には蓋をする」精神では、せっかくの発明も悲劇の種になってしまうと思います。政府も、電力供給量やコストを考えると原発には一定の稼働が必要だと言う意見が大勢を占めていますが、本音は自分達は原発から遠く離れた場所で、自分達の利便性ばかりでものを申しているようにしか聞こえません。最終判断は新潟県知事に任せるのはいいのですが、きっと何かあれば、知事と東電に責任を負わせるのでしょう。

 すべての責任をとると、強いリーダーシップを持って、電力問題を導くと言ったような本当に賢明なマネージメントが出来るリーダーが現れないと、原発問題はこれからも犠牲者を生んでいくような気がします。一部の地方の人々をいつまでも悩まし続けるだけでいいのでしょうか。

投稿者

弱虫語り部

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