太平洋戦争末期に起こった、大学医学部の医師達が捕虜を実験に使い、その命を奪った九州大学生体解剖事件をテーマにした番組と、戦後、アフガニスタンでの医療活動と用水路建設で多くの現地の人々の命と生活を守った中村哲医師の偉業を伝えるNHKの別の二つのドキュメント番組が偶然、同時期に放送されていました。

 前者は、軍部に強く要請され、米軍の捕虜に対して医学的な解剖実験を九州大学医学部の教授以下医療関係者が実施し、終戦後、GHQにより裁判にかけられて戦犯として罰せられた話を題材にしていました。後者はパキスタンやアフガニスタンの医療不毛地域に、遠く日本から診療所の医師として赴任し、その後、アフガニスタンの干ばつによる食料危機を見かねて、用水路建設を指揮、作業した中村哲医師の話でした。

 どちらも九州大学医学部の関係者という偶然とは思いますが、片や医師としての道徳に反する行為、片や命をかけて遠い国の人々の命、生活を救ったと言う、対極的な話に、同じ人間の行ないかと呆然としてしまいました。

 特に、中村哲医師については、私のような凡人から見て、神のような存在に感じられました。国内で通常の医師活動を行っていれば、社会からは敬われ、ある程度裕福な生活を保証されていたと思うのですが、海外、それも不便で危険な地域であったのに、困った人が存在しているとなれば、すべてを捨てて、飛び込んで行くという高い使命感を中村医師は持たれていました。また、干ばつにより、農業地帯に飢えが拡がっていけば、医師として一人の命を救うのも大事だが、干ばつの被害を受けている多くの命を助けたいとして、実行に移す、強い意志を持たれていました。片腕であった協力者がテロリスト達に拉致され、殺されたときも、復讐をすれば、憎悪が拡がるばかりであると、民衆を鎮めたりもしました。用水路建設工事も難航し、川を堰き止める為に、石を沈めても何度も流されても諦めずに、知恵を絞って対処しました。そのとき、民衆には、川に流されるような石ではなく、しっかり動かない大きな石になりなさいと、どんな苦労にも地に足をつけて、前向きに進むことを説いていました。

 冷静に考えますと、中村医師は非常に特別な存在であり、医師の道を外した九大の医師達はもしかしたら普通の人間であったかもしれません。戦時中の異常な状況の中での、理性を失った行為だったのかもしれません。捕虜は爆撃機の乗務員で、名古屋を空爆し、多くの日本人犠牲者を出していたので、彼等の行為は死に値すると、弱い人間が陥り易いように、自分を都合良く納得させ、軍の生体実験の要請を飲んでしまったのかもしれません。このブログで述べていますWEタイプの普通の人間だったのだと思います。それに比べ、元々は縁もゆかりもない国の人々に、彼らの窮状は人間として見過ごすことなど出来ないとして、多くの危険、難局にも怯まず、善行を続け、最後には過激派により射殺された中村医師の魂は本当に尊いもので、私の分類でいうところのAEタイプのひとだったと思います。

 多くの普通の人間は戦争など異常な環境のとき、悪魔のような非人間的行為を起こしかねません。だから、戦争はしてはならないのです。どういう環境下でも、強く人間性を維持出来るのは、極一部のAEタイプのひとしかいないのです。だから、戦争になりますと、非人間的な行為が蔓延するのです。

 そういうことですので、我々一般の民衆が幸せな生活を送るためには、平和であることが絶対条件なのです。世界のあちこちで、戦争、紛争が起こっていますし、日本ですら、いつ戦争に巻き込まれるか分かりません。だからこそ、先日のブログで述べましたように、どのようなことをしても戦争を回避しなければなりません。自分達の正当性ばかり唱え合っても、戦争は回避出来ません。相手の考えも考慮したバランス外交で、非常事態を徹底的に避けることが一番なのだと思います。

 そして、我々大多数の弱いWEタイプの人間は、アフガニスタンで実現したように、中村哲医師のようなAEタイプの人をリーダーに担ぎ、支援し、従い、苦境を暴力では無く、知恵と努力で乗り越えていくことがベストな選択なのです。自分自身は安全地帯にいて、自論にこだわり、理屈をこねて、多くの人に悪影響を与え、国民を危険にさらすようなリーダーでは、幸せな社会は作れないのです。

投稿者

弱虫語り部

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