高市首相が衆議院解散に関して、会見を開きました。
何故、今、解散しなければならないことへの理由が、高市氏の総理就任が国民の審判を仰いでいないから、高市総理がやろうとしている物価高対策、経済政策が前回の選挙のときの公約に入っていなかったから、これらについても国民の意思を確認しないといけないから、だそうです。だから、この選挙は、総理大臣を選択する為の選挙であると、高市が相応しいのか、野田か斉藤か、はたまたその他の人物なのかを国民に判断してもらいたい、と言うことだそうです。
何となく、そう言うことかと分かったように感じた人もいるかと思いますが、深く考えますと、全く解散の理由になっていないものと思います。
このような論理であれば、国会で新総理が誕生すれば、かなりの割合で、着任後直ぐに解散総選挙をしなくてはならなくなります。確かに、国民が直接リーダーを選べないことは、私個人は賛成ではありませんが、しかし、現在の日本のルールでは、議会民主主義制である以上、国民の代表である国会議員に対し、高市総理が並べたようなことは委ねている訳ですので、それで決まった総理は堂々と総理としての仕事をしたらいいのです。それこそ、働いて、働いて、働いて、働いて、働いてまいります、と言うのですから、総理として働くのが、使命なのです。選挙などに労力をかける暇は無い筈です。政治空白を作り、多大な費用をかけても衆議院を解散するには、国民のほとんどが納得する理由が必要なのです。そのような屁理屈でしかない理由で、選挙をする為に、何百億円の税金を投入する程、無駄なことはありません。これだけのお金があれば、生活で困っているどれだけ多数の国民を助けられるものかと、考えられないのでしょうか。
大体、税金は高市総理の私物ではありません。国民から預かっているものだと言う意識が無いのです。百兆円以上の国家予算を動かす総理としては、数百億円など大したことは無い、そんなものは総理であるのだから、簡単に動かしていいのだと思っているのでしょう。それこそ、本当に権力者の驕りなのです。国民からの預かりものであるのですから、一円たりとも無駄にしないと言う精神を忘れてはならない筈です。
高市が総理でいいのか、などと本心でも思ってもいないようなことを抜け抜けと謙虚そうに言うのも呆れてしまいます。もし、本当にそれだけ謙虚であるのなら、数百億円の無駄遣いが出来る訳はありません。国民の為にと言う言葉は嘘であり、自分や党の為に解散したいとと言うのが、正直な答えだと見え透いています。
このような行為は、トランプ大統領が見せる数々の驕りから来る独断専行な行為と根は同じだと思います。大統領や総理大臣という立場に与えられる権限を拡大解釈し、実際は国民の為ではなく、自分や特定のものの為に、その権力を行使するのは議会制民主主義をはき違えていると思います。
何の為に議会があるのでしょうか。それはどんなに優れたリーダーであっても、間違うことはありますし、また能力の限界や弱点はあるのです。そのようなことを正したり、補ったりする為に、いろいろな人と議論し、知恵を結集する必要があり、その機能をきちんと活用することで、最高の判断、施策を打ち出すことが出来るのだと思います。
人間は、権力に昇りつめると自分が全ての上で優れている、正しいと錯覚することがよくあります。それが高じて、独裁者が生まれるのです。このブログで独裁というものが、国民を不幸に導く体制であることを何度も述べて来ましたが、民主主義国家として成り立っている筈の国々でも、未だに独裁を生む土壌が存在する不完全な体制なのであることを我々は忘れてはなりません。独裁体制で泣かされるのは、我々一般市民であり、いつの間にかに我々の命が軽々と使い捨てられるようになるのです。