官庁街で、内閣府の公用車が信号無視して、乗用車やタクシーに衝突し、死傷者が出ました。事故の原因は今後の捜査で明らかにされると思いますが、公用車の運転手の意識が無かったのではないかと見られているようです。いずれにせよ、現代の安全技術を導入していれば、防ぐことか出来た可能性が高いと思います。
このブログで度々述べて来ましたように、高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違いによる事故、高速道路などの逆走による事故なども、未だに頻繁に起こっています。
これらを防ぐには、自動運転技術から応用した安全運転補助技術、装置の導入がかなり効果的であります。しかし、政府や国土交通省の決断は遅く、なかなか実現していないのが現実です。そして、その間にも、尊い命が失われて行くのです。
自動運転などの技術については、その信頼性に誰が責任を持つべきか、新たな費用をどうするのかという問題などで、実現が叶わない様子です。この点を行政に質問しても、鋭意検討しているが、諸問題があり、法制化するのが難しいと返答するのでしょう。
一方、今、政治家達は、選挙で少しでも有利な結果を得ようと懸命で、今では、彼らの多くの関心事は、自分達の当選や党の拡大や存続に集中しているのです。
議員は何の為に存在しているのでしょうか。国民、市民の代表として、民衆の生命と生活を守る為にあるのではないのでしょぅか。その為には、国民にどれだけ寄り添うことが出来るかが重要なのです。
そのような根本的な理解があれば、例えば、被害が続いていますストーカーによる殺傷事件などももっと防げていい筈ではありませんか。これも被害者に寄り添うべきなのに、加害者の人権問題などに遠慮して、決定的な方策を打ち出せずにいると思います。ストーカーによる被害を未然に防ぐには、初期の段階で、加害者になり得るものに対する法的な拘束力を働かすことが有効だと思いますが、誰も責任をとりたくないのか、話がいっこうに進まないのです。そして、その間にも、あらたな被害者が出てしまうのです。
ほんの一例として、車の安全、ストーカー被害の防止について述べましたが、私が許せないのは、政治を司るべき人間達が国民の命が次々に失われて行くのを見ていても、何とかしようと取り組むものがいない、そんなことより、自分達の陣地取りのような選挙にうつつを抜かしていることです。
そんな姿を見ていますと、選挙における彼らの美辞麗句を信用出来る訳はありません。弱い国民の命を救うことより、自分達の地位や権力を獲得することの方が大事なのでしょう。本気で、弱い国民を救おうと考えている人間であれば、知恵を絞り、難しいと思われることにも敢然と挑戦して、何とかするのが本来の姿の筈です。
今回の衆議院選挙は、そのような機会を先送りにし、そしてそのような対策にかけるべきお金を無駄遣いしている愚の骨頂であるのです。
確かに、国民の生活を脅かす物価高は大きな問題です。それに対して、消費税をどのようにするのかも重要な問題です。だからこそ、選挙の公約に関して表面的な議論をすることより、議会の場で、きちんとした議論をすることの方が大切ではありませんか。正面から議論して、最適な答えを出せばいいのです。それが内閣、議会の仕事です。選挙のときだけ、お互い言いたいことを言いっ放しにして、何が生まれるのでしょうか。結局、また、誰かのせいにして、公約は実現出来ませんでした、と国民が失望するだけの結果になるのではないのでしょうか。
私が言いたいのは、国民の悲劇を慈愛を持って見て、それを少しでも防ぐ為に、スピード感を持ち、効果的な対策を打ちだすことも出来ないような人間が、多くの国民を幸せになど出来ないということです。つまり、結局は自分さえ良ければいいと、国民が食をつなぐことで精一杯であろうが、自分達は高級レストラン、割烹などで、打合せと称して、飲み食いしているようでは、庶民の気持ちを分かっている訳はありません。
交通事故やストーカー被害のように、確実に効果的な対応策があるのに、費用を捻出することが難しいとか、人権問題に慎重に対処しないといけないと言うような理由で、結局は、これからも被害者が続出することを放置するような知恵も行動力も無い人間達に、もっと難しい国民全体の生活を豊かにすることなどとても出来ないと考えるのが妥当であると思います。
逆に、そのような課題に具体的対策をとり、やれるんだと言う成果を示してもらえれば、彼らの公約も真剣に聴くことが出来ると思うのですが。