社会は多くの人間が関わって成り立っています。その動きが的確にコントロールされる為には、優れたリーダーの存在、そして指示命令系統が組織立っていなければなりません。しかし、人間の歴史を見て行きますと、そのような理想の社会組織は幻影でしかないのではと思えてなりません。
その原因を考えてみたいと思います。
まず、リーダーとなった人間がさきほどの社会組織の理想の姿に近い人間であることが非現実的であると言うことです。どんなに優れた人間であっても、弱点や短所を持っています。しかし、ひとたびリーダーに昇りつめると、そのような真理を忘れ、自分自身を客観的に理解することが出来なくなり、自分の考えが全て正しいと思うようになるのが常です。そして、リーダーの間違った点などを指摘したものは排除されます。その結果、組織の中枢の人間はリーダーに異を唱えないイエスマンが生き残って行きます。この構図は組織にとって最も拙い状態なのです。つまり、一人のリーダーの考えで組織はすべてコントロールされることになり、例え誤った道であろうとも、どんどん突き進んで行くようになるからです。その典型は独裁国家ですが、民主主義国家でも、リーダーが選ばれる仕組みが国民の直接投票や国民によって選ばれた代表者達の投票で選ばれるにしろ、リーダーに最終的な権限が与えられると、その瞬間からリーダーの判断が最優先されることになるのです。この結果、リーダーに全知全能の判断を期待するしかなくなるのですが、残念ながら、そんなリーダーは存在しません。民主主義では、そのようなリスクに対応する為に、内閣や議会があるのですが、残念ながら、中枢の人材も自分の保身に動くことで、組織の自浄作用が上手く機能しなくなっているのです。
例えば、今回の高市総理の衆議院解散の判断について、閣僚や党幹部はこれは総理の専権事項であるので、自分は何も言えないというような発言をするものがほとんどです。総理の配下であっても、間違いであると感じれば、間違いであると発言すべきが民主主義の原点だと思うのですが、上司の権限に異を唱えることは駄目であるという間違った認識をしているものがほとんどであるようなのです。(日本の社会には、間違った判断であろうとも、上のものに異を唱えることはしないという異常なことが蔓延っているのです)
組織を最善の方向に動かすには、衆知を結集して、その中から最善策を生み出すことが理想ですが、その為に、個人の判断だけでものが進むことを許してはいけないのです。その原点を理解していれば、重要なのは、リーダーはいろいろな意見を聞き、自分の考えと常に対峙させて、判断をすること、また、その下のものも、リーダーにおもねることが無く、自分の考えをはっきり伝えることなのです。
しかし、現実には、そのような行動を起こすひとはほとんどいません。そこで、組織の仕組みを変えるしかないと思います。リーダーが強いのは、下のものの生殺与奪の権利を持っているからです。そして、それがあるから、リーダーの周辺には、自己の保身に走るイエスマンが多数出来上がるのです。
この問題を考えるときに、日本の内閣を例にとりたいと思います。私の理想では、総理は、自分の部下である大臣、副大臣、政務官などを選択する権利は持つが、彼らの評価は第三者機関が担い、辞めさせたりするのも、その機関に権限があるというようなことにすれば、少しはましになると思えるのです。そして、総理は、内閣の議論とそれで決着着かなければメンバーの多数決で、いろいろなことを決めるのを基本とし、議論が拮抗したときにだけ、総理が最終判断をすることでどうでしょうか。
このようにすれば、今回の衆議院解散を総理が単独で決めて、実行すると言うような事態にはならないと思います。
もちろん、安全保障の問題として、他国から軍事的に攻められた場合や、大地震などの突発的な自然大災害が起こったときなどは、悠長に議論している時間はないと思います。ですから、リーダーに判断が委ねられるのは、そのような緊急時のときだけで、平常時は、国会なり、内閣なりの議論を経ることを基本的なプロセスとするのがいいと思います。そして、平常時の閣議のときに、総理が自分の言う事を聞かなければ、首にすると脅すことが出来ないので、出席者は保身を考えずに意見を述べることが出来るのです。
そうであれば、もうひとつの問題は、総理が部下を選ぶときに、すべてをイエスマンだけにすることが考えられます。それに対しては、彼らの評価を判断し、辞任させる権限も持つ第三者委員会には、総理の選択した閣僚達への拒否権を行使出来る権限も与えるのがいいと思います。
そうなると、この第三者委員会の構成メンバーをどうするのかが大変重要になります。判事などのような法曹界から選ぶのもいいかと思いますが、現在のような法務省の管轄となっている判事、検事では総理に忖度することも考えられます。ですから、本来の三権分立の精神を具現化する為に、司法は法務省から独立した総理の配下では無い組織とするべきです。(だからこそ、形骸化しているかもしれませんが、最高裁裁判官が国民審査されるのですから。)
このような組織の問題は、日本のすべての組織に当てはまります。会社、学校、組合、スポーツ団体なども例に洩れないと思います。今回示したような案を是非採用出来れば、理想の組織に近づけると思います。逆に、現在のような組織では、リーダーは自分の考えに異を唱えるようなものを排除し、その為に、下の物は、物を言えなくなってしまうのです。
まとめますと、組織を形成する人々にとって最善の成果を得る為には、リーダーの権限が独裁的に行使出来ないようにしなければなりません。その為には、リーダーの判断を常にチェック出来るような体制を構築しなければなりません。