高市総理が今回の衆議院解散の理由のひとつに、自民党、与党が過半数以上を占め、安定的な政権基盤を確立し、自分のやりたい成長戦略を進めたいとしていました。

 自民党側から見ますと、多数安定政権であれば、国会の場でどんな議論が展開しようが、採決に持ち込めば、必ず自分達の法案が通過するということで、非常にやり易くなると見られます。

 それでは、そのような安定政権は我々国民が望むような豊かで安定な社会を作れるのでしょうか。

 ここで、民主主義の原点に帰って、考えてみたいと思います。読んで字の如く、民主主義とは民衆の考えで政治の方向が決まって行くということですが、それは選挙で多数を勝ち取った政党が好き勝手に法案を通すことではありません。選挙はあくまで、国民の代表を選ぶものであり、選ばれた議員が、国会という場で議論を尽くし、議員全体が協力して、国民全体に対して、もっとも適切な法を作って行き、行政機関がそれに従い、粛々と執行していくことだと思います。

 そういう意味で、ロシアや米国で起こっていることを見てみますと、国のリーダーを国民が選べば、そのリーダーが何でも自分の意のままに事を進めることで、国民が本当に幸せになるのか疑問に思っています。前回のブログで申し上げましたように、人間は個人ではどんなに優れている人であろうが、欠点、弱点がありますし、間違った判断をしてしまうことも当然ある筈です。結局、独裁と同じリスクが存在するのです。

 高市総理が望んでいることは、安定という言葉に隠されていますが、独裁政権を築きたいと言っているのと同じなのです。もしも、高市総理が神のように全てについて、正しい判断をすることが出来れば、そのような独裁的な状況は最も国民にとって良いことかもしれませんが、決してそんなことはあり得ません。彼女が望んでいるのは、彼女が今敵対している一党独裁の中国の姿なのです。

 民主主義を実現するには、一党独裁は非常に不都合であり、いろいろな考えを持った政党、議員達が国民の為に切磋琢磨し、いろいろな意見、考えをぶつけあって、その中で最適解を導き出すことにあるのです。そういう意味では、衆議院、参議院とも、過半数を握っている政党の無かった、石破政権時代や、選挙前の高市政権時代の方が、民主主義を履行する姿に近いのではと思います。

 自民党、与党に安定的な議席を確保させてくださいと言う言葉を、社会が安定すると言うことと混同してはいけません。自民党、与党がやりたい放題が出来るという意味の彼らにとって安定であるだけで、決して国民の為のことが為されるのと同等ではありません。小泉政権、長期安倍政権は数の意味では、安定政権であったと思いますが、その間、国民はどれだけ豊かになったのでしょうか。豊かになったのは、法人税の何度もの減税や、基幹産業や成長産業への公的支援により、大企業が異常なまでに内部留保を積み上げて安定化したことと、投資に対する減税などで、富裕層が財産を増やしはしましたが、一般庶民の生活はどんどん苦しくなって行ったのが、その現実的な姿であると思います。

 そうです、経済成長が国民生活を豊かにするという言葉に騙されてはいけません。その成長した結果得られた成果が国民ひとりひとりに還元されてこそはじめて、意味があるのです。以前のように、その果実を一部の大企業や金持ちに独占されてしまえば、また国民間の貧富の格差は拡がるばかりなのです。そして、もうひとつ忘れてはならないことは、政治家達の多くは国民が苦しんでいたときでも富裕層としての生活を享受していたのです。彼らは、失われた30年の間でも、そして今後の時代でも、常に政治の恩恵を受ける立場にいるということです。

 政治家達は常に国民より数段豊かな生活を享受し続けている訳ですので、大多数の庶民の生活など理解出来る訳はありません。だからこそ、世界の他国に比べても非常に恵まれた議員の待遇を見直さないといけないのです。それでなければ、我々庶民の痛みを真に理解して、庶民の為に政治を執り行うことなど期待できないのではないのでしょうか。

投稿者

弱虫語り部

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