東京の地下鉄、東京メトロ南北線の東大前駅構内で、男が乗客の男性に包丁で切りつけて負傷させた事件がありました。被害者とは面識の無い無差別の犯行でありました。その他、最近でも、大阪で小学生の列に車で突っ込んで負傷させた事件など、無差別殺傷事件が続いています。
東京メトロの事件での犯人の供述によりますと、動機は自身が教育熱心な親から受験勉強を強要された過去があり、それにより不登校になり苦労したので、東大を目指した教育熱心な世間の親達に、あまりに度が過ぎると子供がぐれ、自分のように罪を犯すと世間に示したかったそうなのです。
無差別殺傷事件の動機は共通する点が多く、犯人は学業や仕事がうまく行っていなくて、学校や職場で落ちこぼれたり、思うような人生を歩めていなくて、その原因を自分の境遇や社会のせいだと恨んでいるケースが多いと思います。
このようなことに接しますと、人間は幸せになることに対してなんて無知であるのかと強く感じてしまいます。
幸せに無知であるとは、幸せは裕福であるとなれるとか、有名になるとなれるとか、高い地位に就き権力を持てばなれるとか、目の前の情報から見える、他人の人生、生活を羨み、妬み、それに比べて自分はどうなのかというような偏った考え方に固執し、自分を哀れみ、卑下し、その原因を親や教師や上司や社会のせいにすることがほとんどのような気がします。その反動で、そのような社会に対し恨みをはらす手段が、誰でもいいから殺傷して、世間の注目を受け、自己顕示欲を満足することにつながるのです。
大事な自分の人生を棒にふるだけではなく、何の罪も無い他人の人生をも破壊して、他人を巻き込むことで溜飲をおろすというような自暴自棄の先にある非常に危険な精神状態に陥ってしまうのです。
彼らが、幸せになる本当の道を知っていればこんな犯行に及ぶことはなかったのではと私自身も心が落ち込むのです。
彼らの過ちは、自分の目指すべき道、幸せに感じることが出来る本当の目標探しを理解していないこと、他人との比較でしか自分を評価出来ないこと、自分の境遇をすべて他人や社会のせいにすること、溢れる情報に接して自分は全て理解していると勘違いしていること、自分のことしか考えられないほど近視眼的になっていることなど、いろいろとあるのです。
これはある意味無知の為せる業だと思います。もちろん残念ながら、現在の学校ではそんなことをきちんと教えてくれませんので、このままだと自分自身で長い歴史の中で先人が到達したいろいろな考え方に接して、自分で会得するしかありません。
本来ならば、親から子に伝えるべき重要なことだと思うのですが、教えるべき親もそれを理解していない、例えば、今回の事件の動機にも関係している、受験勉強を強要する親が未だに多数存在することからも、なかなかそれを伝えられない状況でもあるのです。かなりの親も幸福探しというものを理解していないのだと思います。
だからこそ、私はそのことを少しでもお伝えしたくて、このブログを続けているのです。