参議院議員選挙が近づき、国民へのゴマすりなのか、生活支援策としての減税を各党が主張しています。特に消費税減税についての攻防が続いています。

 元々、消費税は減税の原資としたり、福祉など社会保険料への費用に充てる為に導入されたと思います。国や地方自治体はその活動の原資として、国民から税金を徴収する訳ですが、歴史的に見れば、税金とは権力者が民衆から富を搾取する為に作られていました。市民が安全な生活を送れるように、治安や災害対策に向けられるのが大義名分でしたが、一部の支配階級、特権階級に富が集められるようにする狙いが大きかったと思います。民主主義国家となって、従来の封建制度的な国民からの搾取の色合いは無くなりましたが、結局はお上がどのような名目で国民から税金を徴収するかの繰り返しでしかなかったと思います。国の収入を増やしたい役人がいろいろな名目での税金を提案し、政治家がそれを追認することで、今日の税制度が確立したのだと思います。

 その中で、消費税などの付加価値税は歴史も浅く、フランスで1959年に始められ、各国が追随して行きました。日本では、1989年に法制化され、導入されました。この税制は、比較的安定的に徴収できる、特定の人に負担が集中しないで広く徴収できるといった特徴がありますが、反面、多くの商業活動、企業活動への事務労力の負担が大きく、特に日本でも導入しているような軽減税率のように、税率が単一ではないことでさらに大きな負担を民間にも、役所にも課していることになります。このことは国民が生み出す生産的な活動や役所の市民へのサービスと言った本来の活動を阻害することとなってしまいます。このような税金制度を考えるにあたっては、税金がどれだけ集められるかだけではなく、どれだけ効率的に集められるのかも考えないと、せっかく集めても、集める為にさらに多くの労力(コスト)がかかるのであれば、増えた税金を額面通り見られないということなのです。また、生活に必要な商品の購入にも一様にかかると言うことは、貧富の差に関係無く、つまり貧困層ほど生活への負担増になるという側面も強いのです。今回、物価高に対し、国民の生活支援の為に、消費税を減税または廃止しようとする野党の主張もそのへんの事情とも絡んでいるからだと思います。

 私はどのようなシテスムであろうと、出来るだけシンプルであることが重要であると考えています。複雑になればなるほど、透明性が欠如し本来の目的以外の不正や流用が分かり難くなり、また複雑であればあるほど多くの労力がかかるのが問題であるからです。

 民主主義下の税金というものは、本来、国民、市民生活を守るために必要なお金を国民、市民から集めて運用する為のものです。そのことに合目的に適うと言うことを中心に考えれば、消費税の問題が理解出来ると思います。

 と言うことは、結局、政治家も官僚も国民の為に仕事をしたいと本気で考えている訳ではないということなのです。本気であれば、税金を少しでも多く集めることに無駄な労力をかけるより、国民の為に何をしたら良いかを四六時中考え抜くと思いますが、そんなことより、民間に負担を強制しつつ、役人の無駄な仕事を増やして、役人が足りないことの口実として、さらに役人の人件費などに税金を使おうとするのです。消費税率をどんどん上昇させて来ましたが、それなのに、社会保障が充実した感触が持てないのは、増えた税金の使い道を表向きの目的の通りに出来ないからなのです。

 だから、選挙対策の国民へのアピールとしてではなく、本質的に消費税のことを議論すべきだと思います。消費税のような複雑で全ての国民から安定的に税金を徴取するようなことは止めて、その埋め合わせとして、儲かっている企業、個人からさらに徴取することがいいと思います。多くの国民が生活を苦しんでいるときには、富を多く持つところが貢献すべきなのです。それが全ての層が喜べる平穏な社会を築く為の人類の共生というものなのです。

投稿者

弱虫語り部

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