一見、民主主義と独裁政治は相容れないように感じますが、実際はそうではありません。民主主義体制の中でも、選挙で選ばれた人物が独裁者になることがあるのです。
民主主義であろうが、どんな体制の国であっても、独裁者となる可能性のある人間は少なからず存在するのです。彼らの特徴は自分の考え方が一番正しいと信じていること、だから、他の考え方をする人の言葉に耳をかさないどころか、排除するのです。また、法律やルールを自己に有利なように解釈します。法律というものは、その文言だけでは、絶対に正しいと言うようなことを示せる訳ではありません。ですから、その法律が何の為にあるかという原点に帰って、使用しなければなりませんが、その基本的な法の目的を度外視して、その文言だけから出来る使い方で、自己に有利に利用することに努める人間は独裁者に限らず、今の日本にも多くいます。法的に問題無いことを強く主張して自分の行動を正当化するタイプがそれにあたります。こういうタイプが権力を握ると、今度は、自分の思うように法律を変えることまでに手を染めるのです。
今の民主主義は突き詰めれば、選挙と多数決を上手く活用すれば、民が主体である筈の民主主義が、独裁者を生み、独裁者の考え方が主体となってしまうと言う異常な形を許容しているのです。
ですから、日本も中国やロシアや北朝鮮のような独裁国家にならないかと言ったら、場合によってはなる可能性はあるのです。最も怖いのは、第二次世界大戦頃のドイツのように、ヒトラーという狂信的なリーダーを国民の多くが信望してしまうようなケースです。
理想的には、民主主義下の政治家は国民全体の為に政治を行うのが正しいと思うのですが、そうではなく、自分自身の欲望の達成の為に、その欲望を隠しながら議員になり、大臣になろうと思えば可能なのです。彼らは、表面的には国の為、国民の為と言っては、自分に都合の悪い人達を、主義や人種や宗教などで括って、攻撃するのです。独裁者となろうとする者は、必ずこの手法を用います。そして、その括りでまとめられた人間を根絶やしにすることで、その中にいる自分の意に沿わない人間を消滅させるのです。
私がブログで何度も述べて来ましたように、そんな括りの中には、いろいろな人が存在し、どんな括りでもその中に善意の人間も多数存在しているのですが、そんなことに関係無く、一網打尽にしようとするのが、独裁者のやり方なのです。
このような歴史の事実をきちんと見て、独裁者の根を絶やさなければなりません。皆さんは、今の日本にそこまでの悪は存在しないと思われていると思いますが、その過信が怖いのです。今の日本の政治家は自分達さえ裕福で、特権を持てることで満足している小悪党は沢山いても、独裁までは考えていないと思われているでしょう。しかし、そのような小悪党達が引き起こすのは、酷い格差社会なのです。そして、それが進んでいくと、一般庶民の暮らしは益々貧困化していきます。そうなると、その大多数の国民の窮状に付け込んで、甘い言葉で、誰か(政敵やどこかの国や人種や宗教など)を悪者にし、それがこの日本の窮状を引き起こしていると主張し、もし、多くの国民がその言葉に騙されれば、その敵と括られた人達を排除し、最悪は、暴力的に攻撃することを是としてしまうことになるのです。
ポイントは一般国民の生活が非常に苦しくなって来ると、独裁者の出現につながり易いのです。だから、今の段階の内に、国民全体の生活を豊かにしないといけないのです。と言うことは、一部の富裕層が優遇され、さらに富を増やせるような今の社会を変えることが重要なのです。
このことを政治家達もきちんと認識し、自分達だけ良ければという利己主義から、多くの国民の生活を底上げする為に、本気で格差是正に舵を切るべきなのです。広い視野に立てば、そのことが小悪党である政治家自身の為にもなるのです。一人の独裁者を生むことがどれだけ悲惨な未来になるかをよく理解し、今の内に、今の政治のやり方を改めてください。