先日、大阪万博で、閉園まじかに、会場への交通機関が停電により運行出来なくなり、多数の入場者が足止めを喰らったトラブルがありました。復旧には、翌朝までかかったそうで、多くの人が会場内で夜を明かさなくてはならなくなりました。

 普通であれば、熱帯夜の中を会場内で一夜過ごすことは、耐えられないほどの苦労であったはずですが、結果として、多くの人達が、この夜の経験をかけがえのない思い出となったと報じています。

 と言うのも、十数箇所のパビリオンで、閉館時間後も、無償で、会場を解放したり、飲食を提供したり、携帯電話の充電サービスなどを実施したのでした。それも、普段では見られない場所を解放したり、グッズを提供したりと、特別なサービスを施したのでした。

 このような各パビリオンの対応に、運営側もルール違反だとクレームをつける代わりに、感謝の意を表しました。

 突然のトラブルに対して、国を越えて、粋なはからいをした数々のパビリオンに対して、入場者から多くの感謝、お礼の言葉が伝えられたのでした。

 万博というものは、各国や企業の展示による一方的な単なるピーアールではなく、展示側と入場者のふれあいの場、交流を通じて相互理解を測る場であるべきだと思うのですが、今回のトラブルが図らずも、より密度の高い交流をもたらしたのだと思います。なかなか触れることの出来ない異国の文化やその国民性、このような場では、どこの国でも更なる暖かい心に触れることが出来、そのことで、さらにそれらの国への理解が深まります。

 市民レベルの交流こそ、世界平和の礎なのかもしれません。戦争のとき、戦場で対峙した敵兵はみんな我が国を陥れる悪魔だと洗脳され、害虫を退治するように銃口を向け、殺戮するのが常です。しかし、敵兵であろうと、国に帰れば、家族、友人もいて、いろいろな職業に就いている普通の人間であるのが真実です。戦場で会うから、殺し合いをするのですが、万博のような友好の場で会えば、ほとんどの人は自分達と同じ普通の人間なのです。

 今回のような思わぬ交流が、さらに深い理解を得させてくれたと思います。

 もし、戦争になったとしたら、このような普通の優しい人達と殺し合いをすることになるのです。だからこそ、戦争など決してしてはいけないのです。例え、権力者が国の為だと言っても、そんな甘言に騙されてはいけません。

 今回のトラブルの顛末を見ていますと、国同士の市民レベルでの交流には、協調して、災禍に立ち向かうことが出来る人間関係が必ず見い出せるという確信を得ることが出来ました。

 国のような大括りのグルーピングで人間同士が争うことなど大きな矛盾をはらんでいるのです。全く敵対する必要の無い人間同士を、無理やり争わすのが、国レベルでの戦争なのです。権力者は都合よく愛国心というもので、敵を作りますが、それはあくまで、権力者や権力を持つサイドの詭弁でしかないのです。

 今回のように、国籍、人種、宗教、主義などが異なる人間同士であっても、お互いのことを慮(おもんばか)って行動出来るのが、我々一般の庶民の感覚なのです。そのことに世界の多くの庶民が気付くことが出来れば、きっと平和な世界を実現出来るのです。

 環境問題、気候変動問題、食料問題、エネルギー問題など、我々を取り巻くいろいろな災禍に対しても、世界共通の課題として立ち向かえば、きっと今回の万博のトラブルのように良い方向に向けることが出来ると思います。






投稿者

弱虫語り部

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