学校の夏休みが終わりに近づいています。この時期になりますと、子供達の自殺が多くなるそうです。以前にも、子供の自殺者が多いことについて論じたことがありました。まだ、生まれてそれほど年月を経ていない子供達がどうして、自分の命を絶つのでしょうか。
夏休みの間は長期間学校生活から解放されます。その生活に慣れてしまうと、私の子供時代も含め多くの人が夏休みの終わりが近づくにつれ、言い知れぬ嫌悪感を抱くのも良くあることだと思いますが、多くの人は自分に鞭打って、何とか登校することになり、さすがに自殺しようと思うのは、よほど学校に行くことに何か大きな抵抗があるのでしょう。
その原因はいろいろあると思われます。いじめの問題も関わっていることもあると思いますが、根底には、今の受験を主目的にしている学校教育の在り方に大きな問題があるのだと思います。私がこのブログでいつも主張していますのは、学校の中でそれぞれの生徒を測る基準が未だに単純過ぎることです。今の社会は多様性の時代とよく言われていますが、未だに、学校の中や、多くの家庭での評価が勉強の成績に偏っていると思うのです。知らず知らずの内に、先生も親も、勉強の成績を通じて物申すことが当たり前になっているのではないでしょうか。
人間はそれぞれ得手不得手があります。それがたまたま勉強が出来るということを一番に評価すれば、勉強が苦手な子供はどうしたら良いのでしょうか。いつも述べていますように、社会はいろいろな仕事があって成り立っていて、それらの多くの種類の仕事を担う人が必要です。ですから、子供達は自分の得意な能力に合う仕事に就くことが出来れば、自分の存在意義を認識出来、やりがい、生き甲斐というものを感じることが出来るのです。この本質に従い、子供達を育成していくことが、教育の核心であるのですが、残念ながら、現在の教育システムはそうはなっていません。ですから、どうしても今の教育から見放され、落ちこぼれと感じてしまう人間を作ってしまうのです。また、そのような偏った価値基準で子供達もそれぞれを評価してしまうことで、いじめの種をも生んでいるのです。
子供達を育てるには、どの子も、自分の得手不得手を認識出来、得意なことを伸ばし、その能力を社会に活かすことが出来るような進路を指し示し、社会の中での存在意義を全員が感じられるようにすることが重要なのです。
自分の存在意義が認識出来れば、命を断とうとする子供は無くなるのではないでしょうか。子供を見守る親や教師などは、ひとりひとりの子供の個性をしっかり見極め、何が得意なのかを引き出すことに心血を注ぐべきです。そして、その子が得意とするものを見つけてあげてください。そして、それを伸ばしてあげてください。