最近でも、世界では、未だに紛争で軍事的な衝突を知らせるニュースは途切れません。また、日本国内に目を転じてみても、殺人や傷害事件は毎日のように報道されています。暴力は一時的には勝ち負けを決めることが出来ても、それは憎悪しか生み出さないことで、新たな争いを生むというように本質的には何の解決手段ともなり得ないことを人間は知ってはいても、いっこうに暴力が無くならないのはどうしてでしょうか。
人間以外の動物の世界では、言葉というものが存在しないので、力が支配しています。弱肉強食ということです。但し、この力はほとんどは動物自身やその子供の生存の為にのみ使用されます。自然が膨大な時間を使って築き上げて来た体系の中で、食物連鎖に組み込まれたシステムなのです。しかし、文明化以降の人間はそのシステムから離脱し、新たな生存システムを模索して来たのです。それに大きく影響したのは、言葉というコミュニケーションツールを獲得したことによるのです。
人間は自分より弱い動物や植物を食して、繁殖、成長し、自分達より力の強い肉食動物の餌となることという元々の自然の食物連鎖から離れることに成功しました。そこには知恵というものを駆使して、体力の弱さを補う武器や方法を編み出すことで、食物連鎖の頂点に昇りつめたのです。その知恵というものが文明を築き、言葉を活用して、組織的な社会を作り、さらに強力な力を手に入れたのでした。これは人類がかつての「力の弱い猿」では無く、「すべての生物の上に君臨する最強生物」となったということを表すのです。
この一連の動きの中で、他の生物が持ちえなかった言葉というツールでお互いの考えを伝えることが可能になり、より効率的な組織的動きが出来るようになりました。しかし、人間は結局、暴力というものを最大の武器として、その組織を拡大することに奔走することになって行ったのです。他の動物ではあり得ない程の同種間殺戮を繰り返すことになったのです。何千年に渡るそのような殺しが、人間から他の生物の脅威をほとんど無くすことには成功しましたが、逆に人間同士の殺戮を増やすことになってしまったのでした。
人類はそれが多くの人間を不幸にする形であることに嫌気がさして、人間は言葉を使ったルール作りで、殺戮に歯止めをかけようとしたのです。国単位では、憲法などとして、その国の人間を制御するルールが支配することで、殺しや暴力は悪であると裁かれるようになったのです。しかし、未だに国を超える争いを制御するルールは実質的には存在しません。
もし、地球全体を制御する法律が出来れば、人間はすべての争いを、話し合いで解決出来ると思います。しかし、今は国際法は存在しますが、それを遵守したり、国際法に則った裁きが出来る場所はありません(形式的にはありますが、有効な物は存在していないと思います)。
そのことで、独裁的な権力者達は自分自身の考えが正しいとして、他国と真剣に協議しないのが普通になり、その代わり、武力で、他を支配しようとするのです。
つまり、人間はルールを作って来ましたが、地球全体に及ぶルールが存在しないことで、各々の権力者が自分の都合の良いルールを各自に作っていくのです。そうなれば、お互いの主張が話し合いにより解決出来る訳はありません。
このような力の支配がまかり通っている以上、暴力を使おうとする人間は後を絶たないのです。自分の考え方が客観的に正しいのであれば、話し合いで解決出来るのですが、その考え方を評価出来る共通ルールが存在しないので、結局は暴力が解決手段として選択されるのです。また、個人的なレベルでは、法律というものがあるのですが、それをベースに話し合ったとしても、自分の考えが通用しないときに、暴力に訴える人間が存在するということなのです。そのような社会の闇の部分については、圧倒的な経済や権力の格差が生むものなのです。つまり、経済的や社会的な弱者が何らかの主張をするのに、その訴えを聞いてもらえないと判断したときに、暴力に走る場合です。それがテロという行為により、権力者の暗殺や一般市民への無差別攻撃という悪しき暴力が生み出されるのです。
この世界から暴力を追放するには、世界共通の民主的なルールを作り、それを守るような国際的な体制を築かなければならないのです。一方、個人やグループの暴力についても、現在のような極端な格差が解消され、出来るだけ多くの人がある程度豊かで幸せな生活を送れるようにならなければ、いくら法律のようなルールだけあっても、暴力に訴える人間を無くすことは出来ないのです。