昨年2025年の11月に、のべ訪問者数が5万人を越えたことを報告させていただきました。それから、約4ヶ月後の先日に、10万人越えとなりました。2021年10月の初投稿から約4年かかって5万人に到達したのと比べますと、相当なスピードアップで達成出来たことになります。望外の喜びを感じています。

 しかし、投稿の内容は、この4年間、政治への不満、戦争への悲嘆などと言ったものが多く、日本も世界も、決して幸せな環境が進展したとは言えない状況であるのが明白な情勢となっていることに、あらためて人類の愚かさを痛感しています。

 自分がこの世に生をうけて、いろいろな経験をして来ましたが、幸せな生活は、それほど遠くにある訳ではないのに、多くの人達は、それを遠ざけるような行ないを続けていることに警鐘を鳴らして来たつもりです。

 人類がこの世に登場し、ホモサピエンスとして何十万年という長きに渡り、生物としての一員として、狩猟や採取などで食物を調達して、暮らして来ました。文明が成立し、急速に発展したのは、数千年前くらいからと言われています。その中で、食料生産の発展、職業・階級の分化、コミュニケーションの発達、都市化などと言ったことが行われ、人間は社会的な生活を余儀なくされるようになりました。それに伴い、それまでは、食に満たされることや、家族や同胞との営みなどと言った人間が感じる単純な幸せも多様化して来て、何が幸せなのかが分かり難い社会へと形を変えて来たのです。それと並行して、一部の人間の抱く欲望が権力や富の獲得へと変貌して来たことにより、社会の中の諍い(いさかい)が多発するようになり、一部の人間の欲望が、社会全体や他の人間の生活にも大きく影響するようになって来て、個々の幸せと欲望の区別がつきにくい世界へとなって、今日に至ったと思われます。

 そういう社会の中に生まれた我々は、どのようにして、幸せを感じる生活を見つけていけば良いのかを、このブログのテーマとしたのです。

 原点は、個々人には、それぞれ個性があり、長所・短所、強み・弱みがあり、社会というものは、お互いのそれぞれの長所で社会に貢献し、短所はお互いカバーし合うということです。そういう意味から、歴史的に社会をコントロールしようとして、形成して来た階級というものは必要では無く、それぞれに適した職業を組み合わせ、社会構造を作り、そういう意味で、職に貴賤なしというように平等でなくてはならないのです。ですから、貧富の格差もあまり極端にならないのが自然であり、現代の技術を前提にしていけば、世界に存在する富を分け与え合うようになれば、ほとんどの人がある程度豊かになり、富を奪い合うようなことは必要なくなるのです。これが、社会における、誰もが幸せをつかめる土壌、環境となるのです。その環境の中で、個々人は、自身の得意な面で社会に貢献し、そして、自分で心底感じられる充実感を求めて、人生を送れればいいと思うのです。但し、大原則があります。自分がやりたいことを求める上で、他の人の幸せへの取り組みも尊重することです。世界のあちこちで起こっている紛争は、自分達の考えや思想、宗教などが一番正しく、それ以外を認めないというような独善的な思いにこだわることから生まれています。人間は色々な考えを持っていることを認め、お互い共存することを目指すべなのです。そして、奪い合いを止め、分け与え合いあうことで、諍いの無い世界を目指すべきだと思います。自分だけよければいいと言うのは、長い目で見れば、いずれ世界の衰退、破滅を導くことになり、誰もが不幸な社会になってしまうと言うことなのです。

 元々、自然界はある節度を持って動いていました。それが世界全体に秩序をもたらしていたのです。しかし、一方では、天変地異と言う試練により、そのような秩序を維持出来なくなり、多くの不幸が蔓延する社会となって、その間隙を、人間の欲望が渦巻くようになり、そのようなことが繰り返されて、現代の混沌とした世界となって来たのです。そのような世界を利用して、己の欲望の実現に利用しようとする一部の野心家達の思うようにさせていくのか、それとも共生という穏やかな道を選ぶのかは、答えは明白であると思います。

投稿者

弱虫語り部

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