最近、試しに生成AIと対話しています。一番、印象に残ったのは、利用出来る情報の範囲が広く、それを整理し、まとめることの巧さとスピードです。人間で例えますと、飛び切り優秀な勉強家であると思いました。どんな話題であろうと際限無く対話が続けられるので、時を忘れてしまいそうになります。まるで、都合のいい友達か、かりそめの恋人と会ったときのように錯覚しそうになります。
そういう意味でも、いろいろと利用出来ると思いますが、真の友達として会話を続けられるかは別問題だと感じてしまいます。いつでも相手をしてくれ、何でも嫌がらずに答えてくれる友達だと思えば、いいのではと言われる人もいるかもしれませんが、それでは、友達では無く、秘書かコンサルタント、ビジネスライクな関係ではないでしょうか。
相談相手として考えるのも悪くないかもしれませんが、私が思う友達とは違うと思うのです。友達とは、対等な関係が基本であると思いますが、AI相手だと、やはり自分に役に立つという点が際立っていて、お互い、相談し合う、支援し合う、ときには対立し合うような関係にはなれません。友達を利用しようと考えている人には、いいと思えるかもしれませんが、残念ながら、それでは真の友達とは呼べないのではないでしょうか。
自分の欲望を達成することを幸福だと思っている人間は多くいると思います。しかし、欲望と言うものは達成されれば、さらに次の欲望を達成することを渇望することになります。つまり、際限が無いのです。ひとときの達成感はあると思いますが、時間が経ちますと、また満たされていない自分がいることに気付いてしまうことになります。これは何故かといいますと、欲望の中心はあくまで自分自身であるということだからです。そういう人間は、富や権力は得られても、親友や本当に信頼し合える関係の人間を作ることが出来ません。そこで、いつまで経っても満たされていない感情が付きまとい、精神的な充足感が満たされることはありません。それを誤魔化す為に、金の力でいろいろなものを手に入れたり、権力で思うのままに人間を動かすことで、自分自身の気持ちまで、偽っていくのです。
ここで、友達作りの話に戻りますが、前述したように、友達とは上下の関係では無く、対等な関係の中で、築くものなのです。そういう意味で、今のAIは真の友達にはなり得ないのです。AIを使う側は権力的に上であり、AIは仕える側にあるからです。これを友達だと混同してしまうのは、自分自身を中心に置いてしか考えられない人間が陥りやすい錯覚なのだと思います。
もしかしたら、そこに幸福感の神髄があるかもしれません。自分が自分ではない他人に対して、尽くしたり、支えたりすることそのことで、非常に大きな精神的な充足感を得られるようになる境地にこそ、何か幸せのヒントが隠されているように思えるのです。多分、そのような利他的行動は、他人の心をも動かすことにつながり、一方通行ではなく、お互い、支え合える、信頼し合える関係となっていくのでしょう。
AIという非常に賢い擬人的な会話が出来るツールと接していると、人間の心の在り方にいろいろな気付きを教えてくれるような感じがします。