最近の民主主義と言われる国々での、リーダー達の振る舞いを見ていますと、まるで独裁者ではないかと疑ってしまいます。
元々、民主主義とは国民を主体とした政治が為されるのが一番重要な点だと思うのですが、そこからは随分外れて行っています。
勘違いの中心は、多数決の政治であると考えていることにあります。本来は、国民の多くが平穏に生活出来るように、国民の声を上手く取り入れていくことが重要であるのですが、その為に、国民の代表者としての議員を選挙で選んで、その議員が国民の声を代弁して、政治を進めていくのです。米国のようにリーダーである大統領を国民が直接選挙で選択するやり方もありますし、日本のように、国民の代表である議員達の投票で内閣総理大臣というリーダーを選ぶやり方もあります。いずれにせよ、国民の代表者としての地位でしかありません。しかし、その権力がリーダーに集中していることから、やり方によっては、独裁的に振る舞えるのが今の政治なのです。
本当は、国民の為に、選ばれた議員達の力を最大限発揮し、国民の為の法律を作ったり、その遂行を効果的に実行するのが、政治の本質なのです。その為には、いろいろな経験や知識、能力を持った多くの議員や官僚が議論して最善策を作り上げることが重要であり、議論こそ、非常に重要なプロセスなのです。しかし、今の日本の状況のように自民党と言う一党が多数党となりますと、採決という多数決を前提にして、野党の意見などちゃんと聞かなくとも、どんな政策も自民党の、否、首相の思いのままに、政策を通すことがルール的に可能になってしまいます。
私がこのブログで、完全な人間は存在しない、だから、出来るだけそれぞれの人間が持つ良い点を集め、それぞれが持つ悪い点はお互いカバーし合うことで、最も良い結果、つまり総合力がマックスになるということを主張して来ました。そういう意味で、一部の人間の考え方だけで。物事を決めて行くととんでもないことや、一部のものだけの為になるような偏った結果を招いてしまうことを充分に理解しないといけません。
例え、一つの党が多数決により、必ず採決に勝てるという状況であっても、野党の意見をちゃんと聞き、理解するように努めなければなりません。その理解の上に、本当に国民の為となる案を導き出すことが出来、それを無視して、自分達の案だけに拘ってはいけません。
民主主義とは、多くの人の意見を上手く取り込み、最も素晴らしいアイディアを生み出すのが一番重要なことなのです。議論を尽くせば、多くの議員が、否、国民の多くが納得した案が出来上がり、それが多数の賛同を得られることが理想なのです。そのように議論を尽くしても、意見が拮抗して成案に至らない場合にだけ、採決という形で決するべきなのです。
このような理想の姿に比べますと、今の日本の国会運営は形式的に、ルールに表面上従ったような結果だけを残して、自民党の、否、高市首相の考え方で事が進んでしまうのです。そんなやり方をする首相は民主主義におけるリーダーの器ではないのです。ルールに沿ってさえすれば、何でもありだと言うのは民主主義とは違うのです。そのようなやり方では、国民の為ということから、どんどん離れてしまうと言うことに気付かないといけないと思います。今の政治は、一部の人間の欲望を叶えているだけなのです。
今、高市首相と権力の中枢にいる人間達が考えているのは、自分と自分にメリットがある人間達にとって良い社会になることです。その為に、彼らにとっても、日本社会は経済的にも衰退してはなりませんが、それは庶民の為ではなく、権力者、富裕層の為の発展でいいのです。だから、貧富の格差は益々拡がり、多くの庶民は死なない程度の生活が出来ればいいのです。庶民からは出来るだけ、税金という形で、その富を搾取することが重要なのです。
このような状況を見て来ますと、今の民主主義の制度、ルールは見直さなければならない段階に来ていると言えるでしょう。