イラン対イスラエルと米国の戦争は終わりが見えずに続いています。特に悲惨なのは、市民が攻撃されて多数の死傷者が出ていることです。学校や病院や一般住宅がどうして攻撃されるのでしょうか。米国は、一般市民を攻撃の対象にしたことは無いと述べていますが、そうであればどういうことなのでしょうか。
国際法上、戦争にもルールがありますが、残念ながら、戦争が起こる度に、そのようなルールが破られるのが常であります。戦争とは、国家的に人殺しを認めている行為だと言うことである以上、そんな行為にルールを設けること自体、大きな矛盾を秘めているということだと思います。最前線では、日々、命のやりとりをしている訳ですので、そういう環境で、ルールを守るというような人間的な行為を守れる人間はどれだけいるのでしょうか。そのような環境下では、悪の心を持ったものがその心を顕在化させるのは簡単なのです。
戦時下で、特に最前線では、どんなにルールや訓練で、全兵士をコントロールしようとしても、いい加減な事をしたり、悪事を働く人間を完全に抑えることは出来ないのです。だから、今回のような標的としてはならないような所へ、ミスなのか、故意なのかは分かりませんが、攻撃することが起こってしまうのです。また、ウクライナで起こったような一般市民への略奪や暴行なども戦争と言う非常に特殊な環境であれば簡単に起こってしまうのです。極論を言いますと、戦場というどさくさに紛れて、悪事を働いても、ほとんどがバレないか罰せられないのです。
戦争という究極の大規模な殺し合いの前では、どんなに綺麗事を言っても、人間の醜い面を抑えることは出来ないと考えるのが、妥当であると思うのです。つまり、どのような理由があろうと、人殺しを国のような公的な組織、体制が、政治の手段として活用してはいけないということが非常に重要なのです。
米国のルメイ元将軍が士官学校の若き学生に「インテリは、戦争は怖い、核戦争は恐ろしくて考えられない、戦争なんて馬鹿げていると非難する。私もそれには同意するが、しかし、我々は戦争をせずにすむ解決作を見出せていない。人間まだそこまで進歩していないのだろう。」と語りました。ルメイ将軍とは、太平洋戦争で、日本本土への無差別爆撃で、二十数万人の市民を殺した作戦を主導した人物で、米国空軍の独立、発展に最も貢献したと言われています。多数の市民を標的にしたことに対しても、これで数万人の米国兵の戦死を防ぐことが出来たのだとも述べていますが、敵国側の一般市民の命をその代償とするのも止む無しとしたのです。これは非常に利己的、独善的な正義であり、本当の正義ではありません。
残念ながら、彼の言葉は現実の世界の姿を現わしているものと認めざるを得ません。世界の多くの指導的な立場の人間達はそのように割り切って、軍事力を使っているのです。しかし、本来は市民の生活を守るべき立場の権力者は、結局、市民同士の殺し合いで、決着をつけようとすることは、本末転倒であるとは考えないのでしょうか。本当に国民の命を守ろうと考えるのであれば、戦争という手段では無く、話し合いによる解決を最後まで目指すべきではないのでしょうか。反対に、世界の指導者、権力者が己の欲望達成の為に国を統制しようとする限り、話し合いより軍事行動を優先するのです。
戦争を解決手段とする限り、市民の犠牲者は増えるばかりなのです。そして、戦争においては、市民の人間性などは疎かにされるのです。世界の指導者が市民の真の代表になることを願うばかりです。そういう意味で、指導者選びが非常に重要なのです。