中東での戦闘は未だに終わりが見えていません。ウクライナでも、未だ戦闘は続いています。台湾周辺でも、緊張が続いています。このような世界の状況を見ていますと、極わずかな人間が、これらの悲惨な状況の鍵を握っています。
私は、前々からこのブログで、独裁的な統治は、決して我々大多数の民衆を幸せに出来ない、それどころか不幸に陥れることにつながっていると主張しています。
人間は例えどんな優れた人であろうと全能の神ではありません。それなのに、まるで全能の神のように振る舞うことを許しているのが、独裁というものなのです。
そして、今の状況を見ますと、独裁的な数人の権力者が世界を混乱に陥れているのです。
北朝鮮のように、もともと独裁を前提とした権力継承が続いている国もあります。中国のように、共産党が独裁政権を樹立し、その共産党を牛耳る指導者は独裁的権力を持てる土壌がしっかりあります。ロシアは大統領を国民選挙で決めることになっていますが、一旦、大統領に就くと、多大な権力を長期間維持することも可能なようになってしまっています。そして、民主主義と言われている米国でも、大統領への権限が集中し過ぎて、任期期間に限りはありますが、トランプ氏のように振る舞えば、独裁的な権力行使がある程度は可能になってしまいます。日本でも、高市氏が党首の自民党が大多数の議席を獲得してしまった今では、独断専行的な行為に走り易くなっています。
このように世界のいろいろな体制が、独裁的な権力行使を許すような不完全な仕組みしか構築出来ないでいるのが、我々にとって大変不幸な現実なのです。それなのに、どうしてそのような独裁的な統治が続いてしまうのでしょうか。
それは、独裁者が誤った行動をとろうとしたときに、それを正そうとすれば、そういう人間は排除されてしまうからです、そして、いつか、独裁者の周りには、イエスマンの取り巻きしか残らなくなってしまうのです。取り巻きは、独裁者の判断が民衆の為にならないと分かっていても、自分の保身に走り、独裁者の命令、指示に従います。それが、下に下につながり、結局は、悲惨な世界を作ってしまうのです。
長い人類の歴史を見ても、権力集中の中、権力者がどれだけ間違った行為をとって来たか、そして、それにより、非常に多くの人間が理不尽で悲惨なめに遇って来たのかが良く理解できると思います。現代の民主主義はそのような経験から、独裁を排除しようとした、法律やルールを作って来ているのですが、残念ながら、権力者の独断専行を完全に抑えるものとなっていないのです。それは多くの人間が持つ、利己的で、保身的な側面を消し去ることが出来ていない、つまり、リーダーから、その配下、そしてその配下は、正義を行うであろうという理想論への期待から出来ているからです。ほとんどの人間は弱い生き物であり、自己保身に走り、自分の上位者に逆らえないという現実論に根差していない体制だからだと思います。それがある限り、一人のリーダーに権限が集中するような社会のルールは結局は民衆全体の為のことより、リーダーの思い、考えによってどうにでも動いてしまうと言うことなのです。
三権分立と言ったシステムも形はあっても、実質的には機能していない国がほとんどです。米国では、最高裁判事を大統領がある程度選び、任命出来ますし、日本でも、内閣で総理大臣によって選ばれた法務大臣が管轄する検察庁が送検、起訴を決めています。つまり、国のトップの意向が司法に対して大きな影響力を持っていると言えると思います。民主主義と言われている国でさえ、トップがやる気になれば、立法、司法、行政に対して、影響を与えることが出来る訳です。このようなことであるので、トップが独裁的な統治を行える素地があるのです。
それが現実である以上、トランプ大統領も、高市総理も独断専行を進めることが出来るのです。この点にきっちりとした歯止めをかけるようなシステムにしなければ、形上は独裁などあり得ないとしている民主主義は脆くも、一人の権力者の独善に負けてしまうのです。
残念ながら、世界はほんの一握りの人間達の考えで動いています。それにより、どれだけ大多数の人間が悲惨な状況に陥っているのか分かりません。
出来るだけリーダーシップを損ねないように、リーダー達の権力を如何に制限するかが、これからの政治の仕組みを改善するポイントとなると思います。