生物の成り立ち、仕組みなどがいろいろと解明されています。生物は無生物に対して、いろいろな定義が為されていますが、自己増殖出来るということもその要件のひとつです。その仕組みだけでも、非常に精密なもので、まだまだ分からないことも多くありますが、解明されたことだけ見ても、どうしてこのようなものが出来上がったのか驚愕するばかりです。生物が生きて行く仕組みについても、本当にここまで進化を遂げて来たと感嘆するばかりです。
そして、このような生物がどうして造られたのかはさらに謎ばかりです。多くの宗教が教えているように、神様がお創りになったと考えたくなります。最初は物の最少単位である素粒子、原子や電子、中性子から元素が出来上がり、その元素が化学反応により分子を構成していく訳ですが、その段階では、全ては無生物であったと思われます。そこから水素、炭素などで出来て来た有機物が主体となり、細胞が形成されたのでしょうか。その細胞に遺伝子が出来、また外部のエネルギーを取り込み、細胞分裂して、さらに大きく複雑な機構を作り上げる中で、生物としての形が作られて行ったのでしょうか。
いろいろと考えても謎が深まるばかりです。しかし、少なくとも言えることは、ここまで創り上げられたのは奇跡としか呼べない命を我々は持っているということです。ですから、その命を大切にするのは当たり前なのです。そして、それは他人の命も同等なのです。生物は他の生物を栄養源、エネルギー源としていますので、他の生物の命を頂いているのは間違いありません。菜食主義者と言っても、生物の命を頂いてることには変わりありません。命を大切にしろと言っているのに矛盾すると言われる人がいますが、食物連鎖の掟だけは、自然が決めたルールで自然の摂理と言うものなのです。しかし、それ以外の殺生は、自然のルールを逸脱したものだと言う事を自覚すべきです。自然のルール以外の無用な殺生は自然の摂理に反することだと言うことを深く胸に刻むべきなのです。
人間は特別な存在だと考えている人は単なる自惚れでしかないのです。人間も他の生物も、同等に自然の摂理の中で生かされているのです。人間が少し知能が発達したからと言って、万物の頂点に君臨している訳ではなく、大きな宇宙の中に生きているちっぽけな生命でしかないのです。この数百年間ほどで、いろいろな事が判ってきてはいますが、それはまだまだ多くの未知の部分を残しています。だから、我々人類は宇宙の一員、地球の一員として、謙虚に、自然の摂理を守りながら、生きていかなければならないのです。そして、その摂理のバランスがうまくとれていれば、人類もいろいろな生物も、平穏に生きていけるのです。
それなのに、同種の中で、殺し合いをしたり、自然を破壊したりしていくと、その行き着く先には、暗黒の世界しか存在しないと思われます。逆に、自然の摂理の範囲の中に、調和と秩序を持って生きていけば、多くの人間が幸せに暮らせる環境があるのです。自然の中ではちっぽけである人間が、大きな権力や富を集められたと言って、他人の生活を壊すようなことをしては、自然の摂理を壊すことになり、いずれは、自分の身にも悲劇が押し寄せて来るのです。
一番大切なことは、自然の摂理を維持するような調和を図ることなのです。そしてその調和には、人間同士の調和も重要になるのです。新ハルモニア主義とは、この調和を保ち、出来るだけ多くの人間が幸せを求めて生きていけることを目指すことなのです。