最近のブログで、戦争についてのいろいろな考え方を示して来ました。戦争はいったん始めてしまうと、多くの人間の生活、人生、生命を破壊してしまいます。それなのに、戦争を始めてしまうのは、この世界を牛耳っている各国の権力者達が国民のことより、自分の欲望達成を優先するからです。そして、その欲望は、正当に説明し、理解してもらうことが出来ないから、暴力に頼らざるを得ないのです。しかし、表向きには自分達の主張は正当なのだが、それを相手は認めないから、やむを得ず、力に頼るのだと、正当化しています。しかし、ほとんどの場合、それは詭弁でしかありません。もうひとつ、戦争を始めてしまうと、冷静な判断で、戦局を理解することは難しく、また、国民の命をどれだけ犠牲にしようと、簡単には降伏をしないことがほとんどで、その為、多くの人間が失わなくていいはずの命を落としてしまうのです。
戦争を起こすときは、国家、国民の為に止むを得ず開戦するとして始めた戦争ですが、いざ、戦争が起こってしまうと、国民の犠牲などお構いなしに、兵士をどんどん投入して行きます。兵士の命より、少しでも戦局を有利にすることを優先して行きます。さらに問題なのは、戦局が不利になって来たときです。はじめは、打開策を打って行きますが、それが不発に終わったり、さらに戦局が悪化した場合の判断が常軌を逸していることがほとんどなのです。もし、国家と国民のことを考えれば、その時点で、和解の話し合いにつくのが、傷を最小限にする為に、もっともいいタイミングです。過去にも、そのような例はあまりないように思います。それは、戦争を仕掛けた権力者、幹部達にとって、責任が自分にかかることが明確だからです。それを避けたいとの意思が働き、どんな手段を使っても、戦争を挽回しようと、無理なことを続けてしまうのです。ナチスドイツや日本帝国がその典型的な例です。その結果、本来は捨てなくてよい多くの国民(兵隊だけで無く、一般市民も)の命が失われ、多くの街が破壊されてしまうのです。
この段階になりますと、権力者や幹部の判断は全く冷静さを欠き、妄想が支配します。それこそ日本の例で見ますと、日本は過去に戦争に負けたことは無いとか、いずれ神風が吹き戦局は一変するというような、精神論が支配するのです。その科学的な根拠の全く無い精神論で、作戦が考えられるようになるのですから、犠牲者が膨れ上がるのは目に見えています。そして、もし降伏したりしたら、自分の責任を追及され、権力も場合によれば命も失うことが分かっていますから、国民の命など、どうでもいいのでしょう。
ビジネスの世界では、どれだけ正確に戦局を読めるかが、経営者の手腕にかかっていて、例え負けたとしても、出来るだけ良いタイミングで撤退や敵に屈することで、企業の傷を最小限にし、場合によっては、再起をかけようとしますが、本当の戦争では、権力者個人の権力、命がかかっているので、とことん破滅に近づくまで、戦争を続けようとするのです。
そこまで行かなくとも、自分の目論見が間違っていたと国民を失望させ、自分の権威が失墜してしまうので、なかなか戦争を止めたりしないのです。そして、もうひとつ彼らが必ずとる手段が情報統制です。自分に不利な情報は止め、酷い場合は、嘘の有利な情報を流すのです。それで、戦況を誤魔化し、国民に戦争を続けさせるのです。
戦争というものは、そのように人間の生活や命を全く軽視することが通例なのです。それで、何を守ろうとしているかと言うと、権力者がその権力を行使出来るような社会構造そのものなのです。そして彼らはそれを国家と称していますが、その主体は、国民にある訳では無く、権力そのものなのです。その権力を誰が握って、どう使うかということが、権力者の最も重要な事柄なのです。
まとめますと、戦争とは、一部の権力者側が己の欲望の達成で始めますが、例え、戦局が悪くなったとしても、国民の命や財産を使い尽くしてでも、戦争を続けようとします。それが戦争の真実なのです。だから、我々一般の民衆は、例えどのようなうまい話を聞かされようと、戦争を認めてはいけないのです。戦争とは、一般の人間にとって、自分達に何の役にも立たないもので、本当に悲惨なものなのですから。