高市改造内閣が発表されました。その面々の学歴を見ますと、ほとんどが、有名大学出身者であります。それこそ、大学というものが設立された明治時代以降、官僚や政治家や軍幹部に有名大学の出身者が多く占めている来ているような気がします。
しかし、残念ながら、これまでの大学というものが社会を先導するべきエリートを輩出する機能を持っていないと思えるのです。
もちろん、有名大学で、高度な専門的学問の習得と共に、高い倫理観、人間性を養えればいいのですが、現実にはそうはなっていません。また、そのような人格を持った人間を選考している訳でもありません。エリートの語源は「選ばれたもの」なのですが、有名大学出身で官僚や政治家になっただけで、選ばれたものと言うには、その選抜方法そのものが本質からずれているのでおこがましいような気がします。何故だか、己をエリートと勘違いしている人間が多く存在していることが、社会全体の悲劇を生んでいるように思えるのです。
高級官僚になる為の登用試験は大学で修得したものがベースになりますし、試験には受験エリートとしてのノウハウが活かされるので、どうしても学歴が重要になるのでしょう。しかし、政治家は国民の代表者が選出されるべきものなので、本来は、様々な経歴を持った人間が選ばれてもおかしくないのではと思えるのですが、現実には、そうはなっていないのです。特に、自民党や保守系の政党には、有名大学出身者が多いのは何故でしょうか。但し、異彩を放っているのは、タレント議員、アスリート議員という一部の人気者が議員になっているケースです。それなら、もっと多様な経歴を持つものも必要だと思うのですが、残念ながら、今の選挙システムでは、それはなかなか難しいと思われます。組織票を持つか名前が売れている人間にしか、議員の道は開かれていないのです。
まず、最近の例を見ますと、二世、三世議員の占める割合が多く、政治家の子息は裕福な家庭で、高学歴であることが多いのです。次に、官僚出身の政治家は、前述したような事情で、高学歴です。結局、今の議員は、国民の代表とは言っていますが、限られた経歴を持つものが多いという事なのです。
田中角栄元首相のような経歴を持つものは皆無ですし、また、彼のように類まれな才能を持っていても、権力を握る為にどれだけ無理なことをしなければならなかったかと言うことは、彼が収賄罪で有罪判決を受けたことからも察せられます。つまり、限られた経歴の壁を壊すことは、今の政治システム、選挙制度では相当困難なことなのです。
一番、問題なのは、有名大学出身者であっても、多くの庶民層の気持ちに沿えるだけの人格を持っていればいいのですが、そうでない人間達が政治の世界に多く集まるのです。そして、軍国主義の時代から、このようにエリートと呼ばれる人間達は己の独善的な考えと間違ったプライドで、国民の命などに心を配らないで、国をとんでもない道に進ませて来たのです。
残念ながら、これまでエリートと言われて来た人間の多くは、自分は特別であると言うような傲慢さを持ち、国民を見下すような人格の人間を多数輩出して来たのです。
だから、現在でも、多くの国民が物価高で生活に困窮していても、即効性のある対策も打てないのに、自分達は裕福な暮らしを享受していても、少しも背徳感も感じずに、平然と、権力争いなどを続けていられるのです。
このようなことになっている背景には、教育システムと政治・選挙システムの欠落が依然として残っているからなのです。
このブログで何度も主張していますように、今の教育システムは、膨大な知識の習得をベースにした狭い範囲の学力を競わせるものであり、権力者に従い、その意向を叶える為の策を考えたり、講じたりすることに長けている人材の育成としては理に適っているのですが、国民の幸せを一番に、策を考え、講じるには、非常に偏ったシステムと言わざるを得ません。
また、これも何度も主張していますように、国民平均の十倍以上の議員の実質報酬や様々な特権が、私利私欲に駆られる人間を引きつけるほど非常に魅力的であり、また、前述したような限られた経歴に乗った人間が有利である選挙制度により、幅広い経歴と真に国民に奉仕したいと言う志と人格を持った人間が選挙に当選し難い現実があるのです。
残念ながら、それらのエセ・エリート達が国民の幸せを蹂躙するようなことが続いてしまうのです。
注) エセとは、本物でないのに本物らしく見せていることを表す言葉