ニュースに出てくるような権力者達や、身近な自分自身の回りにも、若い時は持てる能力を充分発揮して、成果を出していた人間(だから、権力を持てるような地位に就くことがあります)が、年を重ねていくと、柔軟性に欠け、他人の意見も聞かなくなり、自分の言ったことも忘れ、一貫しないことをどうどうと述べたり、考えがころころ変わったり、酷い独善に走るような例が多く見られます。このようなことは、生物である以上、老化して、認知機能が衰えれば避けられないのですが、始末に負えないのは、そのような状態になってさえ、権力に居座ろうとすることです。
個人差はありますが、人間は誰でも老化からは逃れられません。体力的なものはもとより、脳神経系統も例外ではありません。もちろん、死というものからも逃れられません。しかし、死と老化というものには大きな違いがあります。死は誰から見てもはっきりと認められることが出来、それに口を挟む余地はありません。一方、老化については、個人差も大きいこともありますし、それへの判断で絶対的な物差しはなかなか見つけられないと思います。自分自身でどれくらい認識出来るかは大変難しいと思います。特に、脳の老化を自己認識するのはかなり難しいことだと思います。また、いろいろな診断は出来ると思いますがそれがどれくらい定量的に判断出来るかと言えば、これもまた難しいものだと思います。
このような状況なので、人間は自分のことをどれだけ老いて、呆けたかを正確に自己認識出来ないのです。
そのことで、我々の社会にいろいろな弊害が出ているのは間違いないと思います。特に、問題が大きいのは、権力を持った人間の場合です。そのようなとき、本人が呆けていないと思っていれば、周りのものも、本人に納得をさせることが難しい場合が多いのです。ある程度、若いときは正常な判断が出来ていたとしても、いつの間にか本人が気づかないうちに独善的な判断になっていくのです。
そのようなことが、政治の世界や企業の世界の権力者においておきてしまうと、どのようなことになるでしょうか。老いた頭で思いついたことに固執して、失策を進め、国民や従業員に大迷惑を与えてしまうのです。
今のままであれば、老人による失政で、多くの人間が苦しめられてしまうでしょう。それでは、どうすれば良いのでしょうか。
それを考えるにあたり、もう一度整理してみますと、まず、老化を明確に出来ないのは、①個人差が大きいので、何歳になると必ずどのように老化するとは言えない。②呆ければ呆けれるほど、本人の自覚が出来なくなる。③自分が正しいと強く認識している権力者に異を唱えれば、排除されることが多い。その為に、周囲の人間は、自己保身の為に、老害を指摘しなくなる。④これらのことにより、誰もが、おかしいと感じるようになっても、そのような権力者を引きづり降ろすことが難しい。
このような状況を考慮しますと、権力には定年を定めることしか無いと思います。専門医が客観的に判断を下せればいいのですが、よほどの認知機能低下が見られないと、明確に判定するのは難しく、そのような状態では、本人が認めようとしないし、専門医も権力者に対しては、保身から忖度した判断を下しかねないでしょう。今もあちこちで見られるように、本人の自覚に期待しても、居座ることの方が多くなるのです。逆に、年齢ほど、明確な基準はありません。これを否定することは出来ないからです。
もちろん理想は、個々の認知状況により、何歳まで現役を担うのかを決められればいいのですが、そのような性善説に立つと、前述したように認知機能が衰えた人間をのさばらせることになってしまうので、それであれば、誰れが見ても、明確な定年制が最善だと思うのです。
どれくらいの年齢で定年にするのかは、いろいろな考え方があると思いますが、私の個人的な見解は、今の社会の事例を見ていますと、70歳くらいがいいと思います。もちろん、70歳前に認知機能が著しく落ちる人間もいるかもしれませんが、そのような場合でも、70歳という終点が見えていれば、周りのものも、忖度せず、本当の事を言い易くなると思います。